3/28 Story of The Surf Pilgrim vol-1

Naoya Kimoto

Naoya Kimoto
サーフィンフォトグラフ界の巨匠、重厚なショットが魅力のKINこと木本直哉。 16才でサーフィンを覚え、20才からサーフィンフォトグラフィーの道を歩みだす。1981年から冬のハワイノースショアに通いだし、現在も最前線で活躍中。

http://buenobooks.shop.multilingualcart.com/goods_ja_jpy_230.html

http://buenobooks.shop.multilingualcart.com/goods_ja_jpy_230.html

 

昨年9月、自分の人生の集大成とも言える、

写真集・波巡礼・The Surf Pilgrim を、

たくさんの人たちのサポートを受けて出版することができた。

写真集では写真と小さく名前・場所のクレジットだけを載せたが、

掲載された写真一枚一枚には並並ならぬ想いが詰まっている。

このニュープロジェクト・Story of The Surf Pilgrim は、

写真集では掲載できなかったキャプション・ストーリーを綴ってみたいと思います。

まず第一弾はカバーショットから〜〜

 

 

本の顔とも言える表紙は、その本を物語る重要な位置、いや全てと言っていいだろう。

この写真集を作るにあたってカバーショットをどれにするか?

候補は何点かあったが、これこそが自分がずっと追い求めてきた波・構図だった。

ところがこの写真のオリジナルポジがどうしても見つからず、

全紙大にプリントされた写真からこの表紙が完成したのだ。

写真は1999年7月・静岡県の富士川で撮影されたもの。

当時自分は西湘の小田原をベースにウエイブハントの生活を送っていた。

台風が来ると、そのスエルに対してのベストプレースに身を置く、

というスタイルを徹底していた。

この時も夏の暑い日、そろそろ南西のスエルが入ってくる頃かな?

と感じて、ソエダヒロミチさん、息子のトモヒロと共に相模湾から駿河湾に向かった。

梅雨明けの河口はどこもバンクが決まっていた。

この日はまだスエルがやっと届きだした程度だったので、

静岡にある河口を西から順番にサーフ&チェックしまくっていった。

そして最後に辿り着いたのが富士川だった。

ダイナミックな川から押し出されたサンドバーが沖にたまり、

素晴らしい地形なんだということは、波に乗ると身体中に感じることができた。

朝一からヒロミチさん達と3つの河口をサーフしてきたので、

流石に今日は疲れ切って、一旦神奈川に戻り明日また来ることにした。

翌日は当時ロックダンスのトップライダーでもあったウシコシも合流し、

朝一には富士川に到着。

海は昨日と大きく変わり、ショアブレイクがけたたましく唸っていた。

遥か沖のバンクを見ると、ビロウシーレベルでサイズは明らかではないが、

パーフェクトなライトハンダーからスピッツが吹き出していた〜

すぐにウォーターハウジングにカメラをセットし沖を目指す。

手前の川の濁流であっという間に左へ流されたが、

川の流れを越すとツルんとした海、そしてずっと向こうには、、オーマイガ〜〜

岸からでは想像のつかないファッキンサッキン、

ティックなダブルアップバレルが口を開けていた〜

ガチッと固まった玉石の上に4〜6〜の根こそぎ掘れの波に大興奮した。

すでにローカルレジェンド・イチカワさんや、

若手のタニゴメ、サカイ達がラインアップしていた。

今で言えばタヒチのチョポを逆さまにしたような波で、

セットの波は誰も手が出せず、ミディアムセットでもほとんどパーリングしてしまう。

そんな中でも脂の乗り切っていたウッシーはことごとくバレルをメイクし、

そのスキル・スタイルをここぞとばかりアピールしまくっていった。

他には今は亡きボディボーダーのブレットヤングや

カリフォルニアボーイのアーロンフレデッテも素晴らしいチャージを披露してくれた。

岸から遠く、川の流れもあってかったるかったが、

確か水中で4ロールの撮影したほどだった。

そんなアメイジングなセッションの中で、

まさに魔物、いや神がかったこの一本の波が来襲した。

この厚み、掘れ度、シェイプ、、、、

まさにスクリーミングインブルー・海の叫びが聞こえたようだった。

沖にいたサーファーは頭が真っ白になったといい、

パドルしていたサーファーは雷を受けたようなショックだったといい、

俺は無我夢中で数枚シャッターを切ったが、

正直何が起こったのかわからなかったほどの衝撃を受けた。

BBのブレット君はこの波を狙っていたのに乗れなかったことを、

一生の後悔だと後に語ってくれた。

昼のオンショアが吹くまでずっと凄い波が来続けていたが、

この特別な波は不思議なことにこの一本だけだった。

日本中いや世界中で数多くのセッションを水中で撮影してきたが、

この富士川での出来事は今も鮮明に思い出すことが出来るほど衝撃的だった。

翌日も富士川に通ってきたが、沖のバンクが岸寄りに寄ってしまい、

昨日のあのスラブの姿はなく、逆にJベイの様な肩の張った壁波に変化し、

その後20年経った今も、あの幻とも言える伝説の波・地形がやって来ないという。

台風が落ち着き、東京でフィルムを現像し、

雑誌サーフィンワールドの編集室にあるライトボックスでスライドをチェックすると、

この異様とも言える一枚が発掘されたのだ。

天気が良いってわけではないが、駿河湾奥底独特のグリーニーなカラー、

何よりもまるで生き物の様な波のフェイスが、

まるでペイントされた様なアーティーかつムーディーな仕上がりとなり、

ミラクル・マジカルショットとしてこの世に残った。

この時の富士川セッションはSWの1999年12月号で、

King of River というタイトルで特集されたが、

この一枚は先にポスターとなりSWで掲載され

何これ?どこ?などの物議を醸し出した作品となった。

富士川といえば友人の一人にトダちゃんが居るんだけど、

当時トダちゃんは海から離れサーフィンもやっていなかったので、

このセッションには姿がなかった。

トダちゃんとは富士川でキャンプしたりしてよく遊んだ仲だった。

そんなトダちゃんが富士川のサーフシーンにいないのは寂しかった。

だから元気をつけてもらおうと、この写真を全紙大にプリントして、

トダちゃんにプレゼントした。

その後トダちゃんはタカミちゃんと結婚し、またサーフシーンに戻ってきた。

時が流れ、写真集を作るにあたって、この写真のポジがないことに気づき、

もしやと思い、トダちゃんにプレゼントしたプリントの事を聞いてみたら、

額にも入れずビニールに入れたまま大切に保管してくれていたのだった。

こうして写真集・波巡礼・The Surf Pilgrim のカバーとして、

再び世に出る事となったわけだ。

あの海であの波あの時を共有したポセイドンのイチカワさんを始め、

富士川ローカルの皆さん、ありがとうございました。

 

 

 

 

 

91032418_2850347235000897_4358563890364153856_n 91059426_977969445939641_2603411352936513536_n

 

Story of The Surf Pilgrim はまだまだ続きますよ〜〜

このストーリーと照らし合わせながら写真集を見てくださいね〜

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

最近の記事

関連する記事