@ Jeffrey’s Bay South Africa 1989
いよいよ今日から梅雨に入った感のある日本。
週末には台風からのスエルが届いて来そうですが、
明日から約一ヶ月のサウスアフリカトリップに行って参ります〜
南アフリカと言えばジェフリーズベイ!!
このジェイベイに恋い焦がれて初めてあの地を踏んだのが、
今から29年前の1989年。
それからは3年連続で南アフリカに通った。
そして24年の時を経て2015年、久しぶりにジェイベイのラインアップを拝むことができ、
50代になった自分の旅心にまた火がついた。
そして昨年はジャパニーズレジェンド・ソエダヒロミチさんを連れて行き、
クラシック・ジェイベイを堪能することができた。
そして今年もまたあのジェフリーズベイに会いに行けることに感謝。
今回のメンバーは、波伝説の社長・カトウミチオ氏、タナカヒデヨシ、
ナカムラタクミ、サトウガイ、アズチジョーと豪華キャスト。
どんな波が、どんな旅が待っているんだろう、、、
明日からのサウスアフリカデイ・レポートをお楽しみに〜〜
では、1989年・初のサウスアフリカ旅行の手記をどんぞ〜〜
@ Jeffrey’s Bay
俺の原稿で何度も書いているが、
サウスアフリカのジェフリーズベイが、
20代の俺にとってのファイナルディスティネーションだった。
当時サウスアフリカは地球の果ての国の様な存在だった。
そしてそこにはこの地球上でのベストポイントブレイクと称された、
ジェフリーズベイがあった。
映画”ファンタジー”や”チューブラースエルに出て来るジェフリーズのシーンには、
今の映像にない”サーフィンの夢”があった。
生きている間に絶対行ってみたいと思う場所の一つとなった。
それが1989年6月、つまり29年前実現した。
大磯でドミンゴサーフを営むヨッチャン(アベカワヨシオ氏)の繋がりで、
南アフリカの名シェーパー/スパイダーを頼って、
ゲンキ君(ホリグチゲンキ)、ヒデ(アライヒデオ)の三世代違う、
ゴチャマゼ?メンバーで初めての南アフリカトリップに出掛けた。
当時まだアパルトヘイト制度が残っていたため、
ビジターの入国にはナーバスだったのか、
特に俺はカメラ機材を持ち込むため、
あらかじめ特別なビザを申請しなければならなかった。
フライトは確か香港でトランジットし、
24時間近くかけて首都ジョハネスバーグに到着。
入国の時俺は特別のビザを持ってるからか、
日本から来た漁師と間違えられ、
どの船に乗るんだ?とか意味不明なことを聞かれたりもしながらも無事入国できた。
(ケープタウンには日本の漁船が置いてあり、日本の漁師は飛行機で行ったり来たりしている)
そこからダーバンまで国内線で1時間。
ダーバンではスパイダーさんが迎えに来てくれ、
コンテストサイトで有名なベイ.オブ.プレンティを一望できるホテルを用意してくれていた。
翌朝から早速取材開始~
当時スパイダーのライダーだった、ビッグウエーバーのピエール.トスティ
(元ASPのオフィシャルフォトグラファー)が、
まずはノースコーストのトンガットへ連れて行ってくれた。
南アフリカ東海岸の朝焼けはダイナミックな美しさを放ち、
海の彼方からジワジワ~っと赤色が染まって来る。
そんなサンライズを横目にダーバンの町を抜けると、
すっかりカントリーモード、
流石大陸だけにオーストラリアに似た所もあるのだが、
至る所でブラックピープルを見かけると、
やはりここはアフリカなんだなと感じさせてくれる。
トンガットもジェフリーズの様なライトのポイントブレイクで、
これでもかというくらい突っ走れるダウンザラインの波だった。
ダーバンに居る間はこのようにノースコーストやサウスコーストに移動しながら、
波の宝庫/サウスアフリカを満喫していった。
そしてついにジェフリーズに行く時が来た。
スパイダーも忙しい中付き合ってくれ、ダーバンからポートエリザベスに飛び、
そこからレンタカー(ヴォルクスワーゲンのヴァン)で約1時間。
外の冷気も一気にまし、都会のダーバンにはない、
独特のカントリーフィーリングに満ちていた。
カバーナというキッチン付きの宿に入り、ジェフリーズをチェックするも、
波はフラット、、、翌日も、、、また翌日も、、、と、スモールデイズが続いた。
そんな時は30分程車を走らせた所にある、
シールポイント&シールビーチに通った。
とにかくここは波がある。
更にシールポイントのアザーサイドはオイスターベイと呼ばれ、
ビーチブレイクなんだけど、軽くいつもクローズアウトしてる~
つまりジェフリーズはそれなりのスエルがラップして
入って来なければたたないということがわかってきた。
やがてスパイダーも仕事があるのでダーバンに戻り、
俺達はもっと北に位置するイーストロンドンへ探検に出掛けた。
やはり移動に半日かけ、見知らぬイーストロンドンの波をサーチしていった。
ある朝メインスポットのナフーンリーフをチェックに行くと、
スモールサンセットの様な波が炸裂していた。
久々サイズのある波だったので皆は超ストーク。
何故かローカルサーファーも少なく、
メロウな空気の中でロングセッションを続けられた。
これで一気にイーストロンドンのイメージが良くなったと思いきや、
後日ジェフリーズに戻って、イーストロンドン/ナフーンリーフのことを話すと、、、、
おもむろに新聞を見せられ、
そこにはナフーンリーフでつい先日シャークアタックがあったことが伝えられていた。
南アフリカは鮫の宝庫で、
中でもイーストロンドン/ナフーンリーフはシャークアタックが多い事で有名なんだそうだ、、、
何も知らなかった俺達は、そんな鮫のうようよする海の上に浮かんでたんだね~
と背筋が凍る思いにならされた~~
すっかり移動癖がつき、ジェフリーズがないなら次はケープタウンに行こうと、
今度は西へと車を走らせた。
途中のポイントをチェックしながら、やっぱ一日かけてケープタウンに到着。
更に風が冷たく空も鉛色、海も半端なく冷っこい。
ドヨ~ンとして暗くなっちゃう所を、
ゲンキ君が喜望峰(ケープホープ)の近くでアワビを大量にゲットし、
ケープタウンの外れにあるムイゼンバーグの宿でアバロニ三昧の料理をしてくれた。
宿の老夫婦はアワビを食べた事がなく、
刺身は食えなかったが、バター炒めはおいしそうに頬張っていた~
結局ケープタウンは荒れた海、荒れた天気のままなんで、
早々にジェフリーズに戻り次のスエルに期待した。
ジェフリーズでは、デレクハインド/カントリーフィーリング主催の
”ドリームシークエンス”という、
フリーセッションスタイルのコンテストが行われる事になっていて、
ゲンキ君やヒデも出場できることになっていた。
そしてヨッチャンも帰国する日が迫り、
一旦ダーバンのスパイダーの所に戻って行ったなんとその翌日からサーフズアップ~~
いよいよジェフリーズが覚醒しだした~
吐く息が白くなる寒い朝、夜明け前にはフルスーツに着替え、
ジェフリーズのカラス貝がへばりついてるシャープな岩の間からパドルアウト。
2~3発スープを喰らうと一気に目が覚め、あっという間にインサイドに流されている。
回り込んで奥の奥、バックヤーズの方までパドルバックし、
これだって思うスーパーラインに乗り込んで行くと、後は波との競争。
走って、緩めて、また走って走ってと、
ニョキニョキ出て来るショルダーのトップトゥボトムを、
レールトゥレールで駆け抜けて行く気持ち良さは、
ジェフリーズを滑った者でしかわかりえない感触だと、デレクハインドは言い切る。
スエルは一日中続き、風も一日中オフショア、それが何日も続き、
ドリームシークエンスは最高のコンディションで行われ、
ジェフリーズの真髄をとくと味わい事が出来、
ほんとここに住みたいと思うほどの感情にかられた。
あれほどナリを潜めたジェフリーズだったが、
一度オンすると地球はここを中心に回っているんじゃないかと思わせる、
ファンタスティックな経験をする事が出来た。
南半球の下の方に位置するため、太陽も真上に上がらず、
ずっと斜めから淡い、優しい光を発し、
独特のムードあるライティングもまたジェフリーズの魅力でもある。
ジェフリーズを目指して駆け抜けてきた20代の旅が終わり、
ここから30代の新たな旅が始まったのだ。
P.S.
そして気がつけば、40代、50代を駆け抜け、ヨボヨボ60歳手前の自分が居る、、(笑)
Yoshio Abekawa , Genki Horiguchi , Hideo Arai @ Cape Hope 1989
Derek Hand @ Super Tubes Jeffrey’s Bay 1989
@ Jeffrey’s Bay South Africa 1989
そして、今回の旅をサポートしていただいた,
ありがとうございます。