4/22 Osaka Day

Naoya Kimoto

Naoya Kimoto
サーフィンフォトグラフ界の巨匠、重厚なショットが魅力のKINこと木本直哉。 16才でサーフィンを覚え、20才からサーフィンフォトグラフィーの道を歩みだす。1981年から冬のハワイノースショアに通いだし、現在も最前線で活躍中。

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@ The River  Kochi  Shikoku  1992

 

ハワイから帰国して早10日が経った。

海には一度磯ノ浦に行っただけで大阪デイズが続いている、、、

日本に帰ってくると、気になるのがやはり各地の河口の地形だ。

特に四国のリバーマウスには特別な想いがある。

しかし今季、今の所どこの河口も開いていない状態だという。

梅雨が来て雨が降り、河口に宝石のようなバンクが敷き詰められるのを楽しみにしている。

と言うことで、今日のブログは、1992年、高知リバーマウスの壮大な地形に、

南西からのグランドスエルがヒットした時の手記です。

 

 

 

img323Jun Jo @ The River  Kochi  Shikoku  1992

 

まずは、このダイナミックな地形、そしてこの脈々と打ち寄せるラインアップを見て下さい。

世界に誇る日本の宝、四国の河口の波。

年に一度、いや数年に一度、自然の噛み合わせが全て合致した時に訪れるマジック。

これは多分1992年の夏だったと思う。

この日の前日からスエルは上がり、オーバーキャストながらドチューブとロングフェイスを伴った、

素晴らしいセッションが展開された。

当時制作していた、ビデオ”ツナミコーリング/日本編”のラストを飾るフッテージを撮影する事が出来た。

アウトでチューブをかぶり出て来ると、再びミドルセクションのチューブが巻いてき、

それをメイクするとインサイドのシャローセクションでまたまたドチューブに入れるという、

とんでもない波だった。

あまりのスケールのでかさに水中には入れず、川の上に架かる橋の上から撮影することとなった。

今では考えられないが、この頃は橋の先に料金所もあったためか、交通量も少なかったのだ。

三脚を構えた後ろを通って行くのは皆サーファーで、

クラクションを鳴らしながら駐車場にカットんでいったものだ。

海部方面からは、コーヘーさん、ウエダ君、カッキン、ヨシジ、ドンジョンストン等が、

高知ローカルでは、タキさん、マエダ君、トオル君等がラインアップし、

次々と良い波に乗り込んで行った。

昼前にはオンショアが来てしまい、コンディションは一気に崩れた。

しかし波はスティルグロウイン〜〜

いよいよ明日はザデイの到来か?

そこにハワイから日本に到着したばっかのジュン(ジョー)が、突如高知にフライトしてきた。

ジュンはハワイ育ちの日系サーファーで、この頃はJPSAに参戦していたアップカマーの一人だった。

実際、この翌年の1993年と翌翌年の1994年、立て続けグラチャンに輝いている。

翌朝、夜明けとともに河口へ向かうと、前日より一回りサイズアップし、

更にワイドなラインアップになっていた~~~

天気は前日と打って変わってドピーカン、見事な四国晴れ。

駐車場から見るラインアップは朝日が逆光で、

サーファーがギラギラした波頭からチューブに入るとシャドウとなり、

スピッツとともにカムアウトしてくると、再びキラキラしてよく見えなかった程だ。

前日同様、水中には入らず、今日はスティール撮影に没頭した。

水の色も前日はやや河口の濁りがあったが、今日は見事なまでの超ブルー。

アウトのドセットは6~8フィートにまで達し、

200メートルは有にグライドできる、アンビリーバブルなラインアップが出現した~~

バンクが岸から遠いので、絵的にはややインパクトに欠けるな~と感じていたが、

時を経て今こうして見返してみると、このジュンの遠目のプルインショットも、

まるでインサイドサンセットを彷彿させるでかさ、クオリティを見事に表現しているショットだと思う事が出来る。

この日の朝がスエルのピークで、やがて昼のオンショアも入り、

瞬く間に夢の様なザ.タイムが終わった。

俺はそれでもしばしこの余韻に浸りたく、一人高知に残り、

ローカルサーファーと共に四万十川の上流でのキャンプにジョイントさせてもらった。

夏とはいえ、ひんやりする川のほとりでローカルサーファーと、

バーベキュー&ビールをしこたま飲み食い喋り、

やがて河原に横たわると、森の精気に、満天の星空に、大きく優しく包まれ、

海の側にはない深い深い眠りに入っていくことができた。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

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