2/26 Hawaii Day

Naoya Kimoto

Naoya Kimoto
サーフィンフォトグラフ界の巨匠、重厚なショットが魅力のKINこと木本直哉。 16才でサーフィンを覚え、20才からサーフィンフォトグラフィーの道を歩みだす。1981年から冬のハワイノースショアに通いだし、現在も最前線で活躍中。

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@ Lafitenia  France  1990

 

本日のノースショアも、0〜1〜の雨、、、、とほほ、、、

一気にノースショアシーズンの幕が閉じたような静けさだ、、、、

ところで去る2月21日から、ダブの会長・トクラヤスモリ氏が久々ハワイに来て、

現在うちにステイしている。

トクラさんとは、1979年初めての海外旅行・オーストラリアで知り合って以来、

国内は元より、ハワイはもちろん、ペルー、ツアモツ、メンタワイ等、世界の波を求めて旅してきた。

今回はそんなトクラさんと旅したヨーロッパ・ノースアフリカトリップのお話お話し〜

 

 

 

 

03_N370I8AA03_J@ Coxos  Portugal  1990

 

1989年と、1990年の、2度ヨーロッパを旅した。

初めての年は、サウスアフリカに行き、ひょんなことからレユニオンへ行くことになり、

そこでまた旅の道が開け、一旦サウスアフリカに戻り、

そこから糸の切れた凧の様に、フランスへ飛び、スペイン、ポルトガルへと放浪していった。

すっかりヨーロッパ好きになった俺は、

翌年、ヒデ(アライヒデオ/大阪出身の元プロサーファー)を誘って、

ヨーロッパからアフリカまでの縦断ツアーを敢行した。

ダブのトクラさんも、前半のフランス~スペイン~ポルトガルまで、一緒に旅した。

前年は無計画だったので、バスに乗り継いだり、誰かの車にジャンプインしたり、

かなりハチャメチャな動き方だったが、

この時はトクラさんが、長い道のりのことを考えて、素敵なボルボのハッチバックを借りてくれた。

旅のスタートは御フランス(ザ~マス~)。

俺とヒデは、南回りの格安航空チケットで、パキスタンのカラチに寄ったり、

ドバイでトランジットしたりしながら、パリのオーリー空港に着くはずが、

何故かドゴール空港に着き、荷物と離ればなれになったりしながらも、

無事、ビアリッツに辿り着く事ができた。

IPSサーキット(今のWSL)のヨーロピアンレッグが、

フランスのラカナウから、ハセゴ、ビアリッツへと移動してき、

日本からは、サトシ(セキノ)とダイチャン(イマムラダイスケ)が参戦していた。

今回はコンテスト組とは別行動で、俺とヒデ、トクラさんは、

ビアリッツの町から少し南に外れた、スペインとの国境に近い、

ラフィテニアというポイントの丘にあるキャラバンパークに陣を取った。

オーストラリアにもある様な、小さなキャラバンの中は、

3人が丁度ハマるベッド、キッチンがついていて、

そのキャラバンの窓からは、眼下にラフィテニアのラインアップが一望できる、

サーファーにとっては言う事無しのシチェーションだった。

物価の高いフランスとして考えれば、かなり安く宿泊でき、自炊もばっちり、

更にスペイン(ムンダカのレフトを狙っていた)にも近く、

コンテストが行われているビアリッツもすぐそこなので、動くのに便利な場所だった。

朝起きて、波があれば、キャラバンでウエットスーツに着替え、

そのまま段々畑にあるような階段を降りて、ラフィテニアのラインアップへパドルアウト。

ラインアップからは、自分達の居るキャラバンが見え、

回りはバスクカウンティーの美しい山々に囲まれ、何とも言えない優しいムードに包まれた。

このエリアをバスクといい、昔はフランスでもなく、スペインでもなく、

バスクとして独立していたという。

その文化、風潮から、今もこのエリアに住む人達は、自分達はバスク人と自負している。

ラフィテニアのキャラバンを拠点に、北に走ると、お洒落なビアリッツの町があり、

ショッピングやお食事には事欠かない。

町の中心から、扇状に坂道が何本も枝分かれし、

その通り沿いに素敵なカフェや、ジーンズショップ、

海沿いの通りには、シーフードレストランが林立し、

道はルノーやシトロエンのコンパクトなヨーロピアンカーが行き交い、

御フランス独特のきつい香水の臭いを振りまきながら、闊歩するフレンチ姉ちゃん、

ビーチではもうスッポンポンで、皆日光浴といった、

フランスならではのビーチカルチャーをまざまざと見せつけられた。

西に走ると、高速道路上でスペインとのボーダーがあり、

パスポート、車のレジストレーションを見せるだけで通過でき、

通貨(ギャグじゃないよ)は、今の様にユーロでまだ統一されてなくフランからペソに変わる。

スペインに入国してまず最初の町が、サンセバスチャン。

昔ながらのヨーロッパというか、バスク地方独特の古い渋い町並みだ。

高速を降り、町を抜け、とにかくビーチチェック~~~と、海辺のパーキングに入って行くと、

そこら中で若者達が、ハッシィを煙草にまぶし、普通に吸っているではないか。

スペインではドラッグ(ハッシィ)の売り買いは、もち法的に禁止されているが、

こうした個人の吸引程度では咎められないという、日本からは信じられないお国柄なのだ。

サンセバスチャンのお隣、ザラウッの町なんかもっと狂ってる。

ここでも、ヨーロピアンレッグの一戦が行われ、滞在したことがあるが、

昼間は普通の海辺の町なのだが、夜になると豹変し、

夜が更ければ更けるほどテンションが上がり、眠らない町と化すのだ。

バーに行くと、ハッシィを回し吸いし、床には割れた注射器や針が散乱してる始末、、、

まさにクレージー、世も末だ。

ほんと国境を超えるだけで、これだけカルチャー(?)が違うものなのかと、、、、

そんなこんなで、刺激(?)のある毎日を過ごしたラフィテニアのキャラバン生活から、

今度はイベリア半島大移動の旅に出た。

スペインの北海岸をひたすら、西へ西へと走り、

今度はスペインの西海岸を南下、途中ポルトガルとの国境を超え、

ポルトガルのサーフタウン、エリセイラにまでやってきた。

次のコンテストがこのエリセイラのリベイラビーチで行われるため、

サトシとダイチャンも、スペインから飛行機でポルトガル入りしてくることになっていた。

ここでは、皆で一軒家を借りる手はずになっていて、

先に着いた俺達が段取り、サトシらの到着を待った。

今の様に携帯など無い時代だったので、待ち合わせも適当、アバウトだった。

いつもの様に海から戻って来ると、家の前に板を積んだ車が横づけされてあった。

あっ、サトシ達だ~~~と、、、

しかし、彼らが到着して、ほんの少し車から離れた隙に、

手前に積んであったサトシのボードバッグだけ盗まれてしまったのだ。

全ボード、ウエットスーツ、着替え等が入っていたため、

サトシはすっかり気落ちし、帰国するという、、、

慰めても、本人の意志は変わらず、翌日サトシはダイチャンを俺達に託して、日本に帰ってしまった。

ポルガルでは前年に引き続き、ホノルアベイの様なコショースで波に当たり、

コンテストも無事終了し、トクラさん、ダイチャンの順で、リスボンから皆帰国していった。

残った俺とヒデは、二人きりの旅に戻り、

ポルトガルからジブラルタル海峡をフェリーで渡り、

北アフリカのモロッコに入国、再び走りまくり、

アガディールのちょい手前の村、タラズウにある、

ノースアフリカのジェフリーズと言われる、アンカーポイントを目指した。

モロッコでのことは、また次回ゆっくりと書きたいと思うが、

まあ、とにかく、ここまで、It,s a long way。

帰りは、もっと最短距離にしようと、モロッコから今度はスペインに入り、

海沿いを走らず、イベリア半島の中を突っ切って、首都マドリッドをスルーし、

そこから北海岸に出て、ビアリッツに戻るルートを取った。

もう、二人して、交代で寝ずのロ~~~ングドライブだった。

なんか、旅って、帰ろうモードになると、もう、何が何でもそこまで早く帰ろうってなるよね?

そんな勢いで、とにかく俺達は、何故か、

あのラフィテニアのキャラバンパークに辿り着きたくて、走って走って走りまくった。

スペインのボーダーを超え、フランスに戻り、

ラフィテニアのキャラバンにチェックインした時は、

なんだか家に帰ってきた様な気分になったくらいだ。

旅の疲れ、モロッコでの緊張が解けたからなのか、

パートナーのヒデが、下腹部の激痛を訴えた。

フランスの設備のいい病院で見てもらい、2~3日療養してると回復し、

やがて帰国日も近づいてきた。

また、あの気が遠くなるような、南回りのトランジットフライトを思うと、げっそりするが、

もう、ここまでの旅自体が、It,s a long way そのもの。

もう、何が起きても、驚かないし、何でも楽しむ事ができるよ、、、そんな気分だった。

ラフィテニアで、特別な波に巡り会えた訳ではないが、

ふとこのスライドを見つけた時、鮮やかにあの時の旅が甦ってきた、、、

そんな一枚のショットもまた、宝物の一つなんだ、、、

 

 

 

 

 

04_N370I8AA04_J@ Peniche  Portugal

 

 

 

 

img048-2@ Ericeira  Portugal

 

今宵はそんな昔の旅の話で、トクラさんと盛り上がりドリンクオン〜(笑)

 

 

 

 

 

 

 

 

スクリーンショット 2018-02-26 21.23.59http://www.worldsurfleague.com/events/2018/mqs/2623/vissla-sydney-surf-pro

 

QS6000・ヴィスラ・シドニーサーフプロ。

今日はウーメンズのラウンドー1&2が行われ、

ラウンドー3に勝ち進んだ日本人は、ハシモトレン、オオムラナオ、マヒナマエダ。

メンズはラウンドー2・ヒートー6まで行われ、

オオハラヒロトはラウンドー3へ勝ち進み、

オオハシカイト、アズチジョーはこのラウンドで敗れ、

この後、ムラカミシュン、カノアイガラシ、アライヒロト、ニシユウジの出番となっている。

 

 

 

スクリーンショット 2018-02-26 21.22.59Nao Omura

 

 

 

スクリーンショット 2018-02-26 21.23.16 スクリーンショット 2018-02-26 21.23.45@ Manly Beach

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

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