2/15 Hawaii Day

Naoya Kimoto

Naoya Kimoto
サーフィンフォトグラフ界の巨匠、重厚なショットが魅力のKINこと木本直哉。 16才でサーフィンを覚え、20才からサーフィンフォトグラフィーの道を歩みだす。1981年から冬のハワイノースショアに通いだし、現在も最前線で活躍中。

AAA_SARF-015

@ Punta de Lobos  Pichilemu  Chile  1998

 

本日のノースショア、3〜4〜、朝一はどしゃ降りの雨、、、

風もコナ系でクロスショア、、、

昼前には雨も上がり、今度はドピーカンになって来たが、

風は変わらず、海はまとまり切らなかった。

にゃので、旅手記・第3弾、南米・チリのお話です〜

 

 

3~4~ with a heavy rain in North Shore…

Wind is cross onshore…

Got sunny from noon but wind condition wasn’t in shape so

let’s talk about my journey to Chile.

 

 

N370B9AA06_J img047-2Masayoshi Kamijo @ Intendencia  Iquique  Chile

 

 

1998年、すでに一度チリを訪れていたタイゾウ(ハラダ)の案内で、

ウッシー(ウシコシ)、トモ(ヨシオカ)、マッチ(カミジョウ)達と、チリツアーを敢行した。

マッチ以外は全員ロス集合で、ランチリエアーで一気にサンチャゴに飛んだ。

マッチは当時、ハワイでたった一日、勘違いでオーバーステイをしてしまい、

暫くアメリカに入国できなかったため、なんと、日本~スペイン~チリ、という経由でやってきた。

同日の朝、先に着いた俺達は、マッチが無事チリに到着するかどうか不安だったが、

なんと、マッチは、クラークフォームのダンボール箱に板をパッキンして登場した~~~

確かに今の様にボードケースが普及している時代ではなく、

ハワイからビッグガンを持ち帰るサーファーは、こうしてダンボール箱に入れて持って帰ったが、

これから5人で、レンタカー一台で、それはないでしょう~~~、、、???

、、、ってな調子で、旅がスタートした。

まずは、サンチャゴからノースチリに飛び、アリカ/イキケエリアを取材し、

かなりの波をスコアし、気分上々で再びサンチャゴに戻り、

今度は150キロ南にある、プンタデロボスを目指した。

ノースチリのアタカマ砂漠の中にある、アリカやイキケとはまったく違う自然環境で、

砂漠から一変、森の緑が濃く、気候も南にかなり下がったので寒くなってきた。

まずは宿探し、プンタデロボスの近くに位置する、

ピチレムという可愛い町のロッジにチェックイン~

この頃はとにかく、頼るコネクションもなく、

ひたすら地図を見て、現場に辿り着き、自分達で安宿を探し、

スーパーで買い出し、ほぼ三食自炊して、海に通っていた。

特に初めての所はエキゾチックな気分になるね~

目指すポイントはどこだろう?

と、車を走らせていると、突如視界が広がり、眼前に輝くラインアップが見えたり、、、

道を間違えて、妙な所に入り込んだら、見ず知らずの人が優しくしてくれたり、、、

偶然入ったお店に、お気に入りのものがあったりと、、、

ピチレムに居る間は、ずっとそんな愛おしい気持ちで一杯だった。

チリトリップの第三章目(アリカ、イキケ、そしてピチレム)、いよいよ最終章に入った訳だ。

そして、ついにサーフズアップ~~

ここまでの毎日は、肩~頭の、まったりファンサイズの、

プンタ.デ.ロボスのロングレフトを楽しんでいた。

が、その日は、トレードマークのビッグロックに、

10フィートプラスの波がぶち当たっているではないか~~~!!!

いつものクリフに車を停め、しばしラインアップをチェックしていたが、

海が重く、大きく、力強く、左から右へと動いている。

海に飛び込んだら、あっという間に右に流され、多分出れないんじゃないか、、、

乗ってもでかいフェイスだけだし、何気に先割れしちゃうよね~、、、

で、でも、、、、でかい、、、ウウウウ~~~

暫くチェックするも、地元のサーファーさえ誰も来ないし、どっか他にいいとこあるんじゃないの?

と、勘ぐりだし、当時の俺の”虎の巻”とも言える、

サーファーマガジン発行の”サーフレポート”を読み返すと、、、、

でかいスエルが入った時でしかブレイクしない、というとっておきのポイントが書かれてあった。

その名を、プエルト.シーヨ。

しかし、そのポイントには4駆の車が必要、

更に、プライベートゲートをいくつか超えなければ行けないとも書いてあった。

でも、波はコンパクトでホローするレフトハンダーだと、、、

プンタ.デ.ロボスの大味波で溺れる(?)くらいなら、行っちゃおうぜということになり、

またまた、訳のわからん道を模索しながら、プエルト.シーヨに向かった。

しかし、やっぱ途中、ビーチサンドの坂道でスタックして、どうしても登れない。

皆で押したり、板きれを下に敷いたりしながらも前へ進んだ。

でも、いまいちはっきりとした場所がわからない。

ようやく海の見えるとこに出て、双眼鏡で見渡すと、

左遥か彼方に見える岬のインサイドで波が割れているのが見え、

そこにサーファーが入っているのがかろうじて見えた。

しかし、ここからの距離で、2~3キロはあり、更に今居るとこは崖の上、、、

こんなとこに車や荷物も置いてけないし、この崖降りて、更にビーチを歩いて、、、

ノーウェイ~~~

もうここまでの行程で、かなり疲れ切っていたので、流石の俺達もギブアップ、、、

またまた、サンドスタックを繰り返しながら、来た道を戻って行った。

つまり、チリに来て、一番のビゲストデイを、俺等は迷子の様にウロウロして、

サーフできなかったという訳。

仕方なかったと言えば、それまでだが、どうしても、プエルト.シーヨに辿り着きたかった俺達は、

再び次の日もリベンジに出掛けた。

道はもうある程度わかったので、暗い内に出発し、例の難関の坂道に取り組んだ。

でも、どうしても、どうしても、最後の山を超えられニャイ!!!!

タイゾウは何が何でもという気持ちだったが、

昨日、ノーサーフで終わらせてしまったので、

俺的には今日の朝一のグラッシータイムは逃したくなかった。

なので、その日は早目に諦め、途中で見つけていた、プンタ.トポカルマのレフトに戻ることにした。

そこはそれで、見事なロケーションのポイントで、

また俺達だけのプライベートセッションをメイクすることができ、

素敵なチリの思い出ともなった場所だ。

ピチレムを拠点として、

長~いレフティのプンタ.デ.ロボス、

とうとう行き着けなかったプエルト.シーヨ、

誰もいなかったプンタ.トポカルマでの思い出を胸に、

約1ヶ月に及ぶチリトリップの終焉がきた。

帰国日前日にはサンチャゴに戻り、夜は皆で日本食を食べにいった。

お寿司をほうばり、ガリを口に入れると涙が出そうになった~~~

カウンターの中で寿司を握っていたマスターが、俺等を見て、不思議そうに、

日焼けして真っ黒ですけど、南極か、山にでも登って来られたんですか??だって、、、

やっぱ、チリに波乗りに来たなんて、そうとう珍しかったんだろう、、

この1998年に初めて行った(その後行ってないが)チリは、

俺の世界旅行の中でも、ベストトリップの一つで、

波/自然はもちろんだが、メンバー、ヴァイブレーション、タイミング、、、、

そんな全てのことが、この素晴らしい旅の流れの中に充満していたと言える。

 

 

Me, Taizo, Ushikoshi, Tomo and Matchi went for a Chili tour by Taizo’s guide on 1998.

Most of the members gathered up in Los Angeles and flew to Santiago.

For Matchi, he over stayed in Hawaii for one day so couldn’t get into U.S.A so had to come to

Chili via Spain. We were worried about Matchi getting to Chili safely but he

finally caught up with us with a board in a huge cardboard.

Boardcase wasn’t popular back then but do we have to pack that on a s

ingle car with other surfer’s boards!?

Anyway, we flew to North Chile to check out around Arica for a good waves and

went back to Santiago to go to Punta de Lobo

In that area, natural environment is totally different to Arica area which is deserted place.

It was more likely a green forested place.

And we checked into a small cabin at Pichilemu~~

We had no connection to Chile back then so we just had to go to the place and

find our own place to stay.

While we were in Pichilemu we saw many glorious line-up and

many local people were friendly to us.

Enjoyed the foods and fun size waves. And surf went up suddenly.

When we got to Punta de Lobos, there were 10 ft sets hitting the rock~~~

 

Current was flowing strongly left to right so we were thinking if we get in there,

there will no way coming back to the shore…

We just had to stand by the shore and do nothing.

When we read back the Surfer Magazine, report said there’s this place called

Puerto Seyo. But we need a 4×4 car to get there.

But it tells us waves are hollow left hander.

So we decided to toward there. Of course our car got stuck in the beach sand so

we pushed through the sand.

No one knows the specified location so we looked around with the binocular.

When we looked left side, three were couple surfers surfing but it was around 2 miles away.

We can’t just leave our car and stuff here and walk there along the cliff…

So gave up for today and back we came from.

We truly wanted to go to Puerto Seyo so we gave a another try next day.

Knew the place already so challenged the sand area from midnight.

But can’t get up the last hill!

We didn’t surf a bit yesterday so didn’t want to miss our morning glassy time today.

So we gave up and returned to this lefty called Punta Topocalma.

And enjoyed out private session.

That7s how our long one month journey in Chile ended.

So we flew back to Santiago and ate some sushi~~~

My first and last journey to Chile on 1998 is counted as one of my best trip in my life.

Of course waves were wonderful but this trip’s members and our passion…

Every element made this trip gorgeous.

 

 

 

img056@ Punta Topocalma  Pichilemu  Chile

 

 

 

 

N370B9AA29_J@ El Gringo  Arica  Chile

 

 

 

 

img060-2@ El Buey  Arica  Chile

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

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