6/11 Mexico Day

Naoya Kimoto

Naoya Kimoto
サーフィンフォトグラフ界の巨匠、重厚なショットが魅力のKINこと木本直哉。 16才でサーフィンを覚え、20才からサーフィンフォトグラフィーの道を歩みだす。1981年から冬のハワイノースショアに通いだし、現在も最前線で活躍中。

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Boyz @ Zicatera  12:01 pm

 

本日のプエルト、朝から雨、波は腰〜腹〜胸〜

雨が上がるまで宿で待機してると、また二度寝しちまった〜

昼前から雨が上がりビーチへ行くと、レフトがプリファンなので、

ボーイズはゴーサーフ、アツヤもドンピシャタイミングでロヘの奥さんとショーアップ〜

今日は曇天なのでオンショアが吹かず、スモールでも面ツルコンディションで1R〜

オイラは天気も天気なんでノースチール、ビデオ撮影のみ。

クィックサーフセッションの後は、昨日閉まっていたイグアナ&ワニ園へ〜

その後ボーイズはアツヤに誘われ、メキシカンガールズ達と初の外食へ〜

なのでオイラは今回の旅で凄くお世話になっているミホコさんと大人のディナ〜

先日ラプンタのキッズコンテストで優勝したショウゴ君の懸賞が、

ラプンタにあるペルビアンレストラン”チカマ”のフリーディナー券があったので、

メキシコに来て以来初の外食、美味しいペルーの海鮮料理を堪能いたしますた〜

ショウゴ君、ありがとう〜勝手に使わせていただきました〜ワラ

 

 

 

 

IMG_2145@ Playa Zicatera  12:06 pm

 

朝一雨の中チェックした時よりも波が張ってきていて、

何気にレフトはプリチューブだったので早速ビデオ撮影に入った。

 

 

 

 

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近くのワニ&イグアナ園をチェケラ〜

でもマジこんなワニに出くわしたりしたら、、、OMG〜〜

 

 

 

 

 

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ラプンタは昔なにも無いところだったが、今はヤングツーリストのメッカとして賑わっている。

コロナ禍によってあちこちへ海外旅行ができなくなってしまった今、

メキシコは入国制限が施かれてないので、アメリカや南米からのツーリストでゴーインオフ!!

ペルビアンレストラン”チカマ”は言わずと知れた、

ペルー北部にある世界最長のレフティ・チカマからの由来だ。

上からセビーチェ(刺身)、ペスカード(魚)のタタキ、カマロン(海老)の揚げ。

魚と海老に付いているのはアロッツ、パサパサのライスなんで野菜と一緒にサラダ感覚。

いや〜ずっと自炊・肉料理だったのでブランコビーノ(白ワイン)が美味かった〜

帰宅するとボーイズはまだグループデート中の様だったので、早めのバタンキュ〜〜ワラ

 

 

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明後日6月13日からずっとパンプしてきそうだね〜ワラ

 

 

 

 

 

 

 

 

198831948_1035305850333948_3375819015479591059_n@ La Punta  Mexico  1986

 

写真は1986年、つまり35年前、オイラが26歳の時に初めてメキシコへ旅したときのもの。

30歳の時にリリースした写真集”波ノ園”で使った懐かしいショットだ。

その時の手記がこちら〜〜

 

 

1986年、つまり35年前のお話~

ノースショア6シーズン目を終え、春先からいつもの様に旅に出た。

この年は、大阪のバディ、カズヤ(浮本和也)と、

プエルトリコへ帰りの決めない、本当のトリッピーに出たんだ。

プエルトリコではノースで仲良くなった、

プエルトリコのパイオニアサーファー的存在のトムファーガーソンを訪ねて、

2ヶ月以上の滞在となった。

本来はそこからハワイに戻る予定だったが、

当時のプエルトリコを代表するプロサーファー/エドウィンサントスから、

ここまで来てるんだから、メキシコのプエルトエスコンディードに行かない手は無いと勧められ、

お金は無いが、時間はたっぷりある俺達は、キラっと目を光らせ、予定を270度変え、

プエルトリコの後メキシコへ向かったのだ。

エドウィンに教わった通り、メキシコシティからプエルトエスコンディードに飛び、

真っ昼間の空港に降り立つと、バタっと倒れそうになるくらいの強烈な熱さが待っていた。

この時点では、世界ナンバーワンの熱さだと感じたくらいだ。

そして呼び込みタクシーに引き込まれ、目指すシカテラビーチに向かった。

観光地でもあるプエルトエスコンディードは、ややバリのクタっぽくて、

商店街にずら~とお店屋が連なっていたが、クタと違うのは、昼間は完全に店を閉めちゃい、

ゴーストタウン状態になってしまうということ。

あまりの熱さから、昼間は家でグデ~~っとする習慣があるようだ。

始めは何やねん~と思っていたが、気がつけば俺等も昼間はバンガロウの中で、

扇風機をブンブン回しながら、グデ~っとなっていたのら~~

宿泊したバンガロウは、確か2人で一泊、$10くらいの安さだった。

簡単なキッチンもあり、シカテラビーチまでも歩いて3分くらいの近さだった。

生活は至ってシンプル、プエルトリコの時の様に車に乗っての移動も無く、

朝一起きると、シカテラ右端にある岩場から波をチェック。

プエルトは朝の風の無いときが全てなんで、すぐに入水。

早ければ9時、10時にはシーブリーズが来だし、あっという間にフルオンショアとなってしまう。

風の入ったプエルトは、もうどうにもならず、板を折るのが関の山なんで、

部屋に戻って、食事、読書、睡眠となる。

先にも書いたが、午後になると店屋が一斉に閉まるので、買い物は午前中に、

午後は灼熱の熱さなんで、夕方まで休んでおくしか無い。

夕方、ラッキーなら風が凪、出来る様にもなるが、

朝一のグラッシーコンディションには及びもつかないので、

とにもかくにも朝の1ラウンドに集中するということだ。

シカテラビーチブレイクのパワーは絶大で、

サイズアップするとまさにメキシカンパイプラインと呼ばれる所以が理解できる。

3~4フィートで水中撮影していても、インパクトで叩き付けられると、

ボトムの固い砂に押し付けられ、ギリンギリンに巻かれ、

溺れそうになってしまう程のパワーブレイクなんだ。

この頃はハウジングも持っていたが、泳ぎやすさを優先してニコノスを肩にかけ、

両手を開けて水中撮影に望んだ程だった。

波がでかくなると、水中なんかたちうちできなくなるほどの、

驚異的破壊力のあるインパクトゾーンに、怒濤のカレントが生じ、

ビーチで見ているだけでも肩がこって来る程の迫力だ。

こんな時は、長いシカテラビーチの左端の岬から割れる、

ラプンタ(ザポイント)のレフトのポイントブレイクが良くなりだす。

ビーチブレイクとは打って変わりメロウなロングレフティも、

プエルトエスコンディードの別物の魅力でもあるんだぜ~

ビーチとポイントブレイクの日々を送っていたある日、強烈な下痢に見舞われた。

ピーンと凍り付く様な、針が脳天から尻の穴に抜けて行くような感触に見舞われ、

体内の水分が全て失われて行くくらい、排便、排尿、嘔吐の連続だった。

俺程ではないにしても、カズヤも半日送れで下痢症状が来、

二人してバンガロウで倒れ込んでいたのを、隣のサーファーカップルが気遣ってくれ、

薬や水、食べ物を与えてくれた。

おかげで2日くらいで体調も戻り、原因となったミンチ肉はもう二度と食べたくないと、

体に、心に誓った。

そんなこんなしながら、旅の終盤のある朝、ドガ~~っと物凄い音で目が覚めた。

外はバケツ、いや天地がひっくり返った様なスコールだった。

この貧相なバンガロウの屋根が潰れるんじゃないかと思わせるくらいの、強烈猛烈な雨だった。

思えばメキシコに来てから初めての雨だった。

あれほど灼熱の熱さだったのが、一気にクールダウンし、

バンガロウな中は冷や~~とまでしてきた。

バンガロウの天井にはどこかから逃げてきたイグアナが、きょろきょろ辺りを見回している。

まったくの計画外だったメキシコトリップだったが、

カズヤというバディがいたからこそ、勢いだけでここまで駆け抜けて来れた。

しかし、無一文だったカズヤの旅費立て替え分は、なんと$2000近くになっていた~~

まさにケツの毛まで、とはこのことじゃ~シャ~~笑

 

 

 

 

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