6/7 Preview of Surf Pilgrimage 2 / To The Ends of The World vol-7

Naoya Kimoto

Naoya Kimoto
サーフィンフォトグラフ界の巨匠、重厚なショットが魅力のKINこと木本直哉。 16才でサーフィンを覚え、20才からサーフィンフォトグラフィーの道を歩みだす。1981年から冬のハワイノースショアに通いだし、現在も最前線で活躍中。

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@ Tahiti  2014

 

2014年に敢行されたタヒチトリップ・チョポセッションの映像が、

ようやく、DVD  波巡礼・Surf Pilgrimage 2 で蘇る!!

 

 

 

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まずは、1991年、記念すべき初めてのタヒチに行ったときのお話から〜〜

当時俺のファイナルディスティネーションだった、サウスアフリカ/ジェフリーズベイにも行き、

ヨーロッパにも足を踏み入れ、次なる旅の地を模索していた頃だ。

サーフィングマガジンのフォトグ/ハンクのカバーで、

ハワイのグーフィーフッター/エリックバートンが、

今迄見た事も無いテイックなリップ、病的な底掘れしてるレフトのバレルショットを見かけた。

今で言うチョポの波だが、当時はまだまだシークレット的な存在で、

クレジットも”エンドオブザロード”としか書かれていなかった。

やや遠目のアングルだったが、異常な波の形が脳裏に残るショットだった。

次に衝撃的だったのが、やはりサーフィングマガジンで特集された、

ジェフホーンベイカーの写真だ。

そこには、ロスクラークジョーンズやタイタスキニマカが、

今度はバカッ掘れのビッグライトハンダーにチャージンしてる模様が、

シャープに映し出されていた。

これも後でわかったことだが、チョポ近くのヴァイラオのビッグパスのライトの波だそうだ。

恐るべしタヒチ、ビューティータヒチに本気で行ってみたいと思う様になり、

タヒチのコンタクトを探していたら、

丁度試合で日本に来ていた、タヒチアンのポト(ベティアデヴィット)が、

俺の兄貴(モアナデヴィット)がタヒチでサーフツアーをやってるから連絡しろと教えてくれた。

早速言われるままタヒチのモアナに連絡するも、時差を考えないで、

向こうの早朝に電話しちまった~~(まだメールとかやってなかったアナログ時代)

話を聞くと、一泊/一人$100で、朝夕食付きで、海へのトランスポートも付いていた。

タヒチの屈強な波に向けてのメンバーセレクトで、

サトシ、ヌマ、ウッシーを連れて行く事に成った。

出発直前にサトシのパスポートが切れているのが判明し、

サトシは新しいパスポートを作り直すため、

遅れて来る事に成った以外は全て順調で無事タヒチに到着した。

パペーテ空港を出ると、おっかない顔したズングルムックリの兄ちゃんが近づいてきた。

これがモアナとの出会いで、以来長年に渡りモアナツアーを使う事なり、

タヒチにおいては全て身を委ねた存在でもあった。

パペーテ近くのタアプナの山の丘にモアナの家があり、

一階のガレージをゲストハウスに改造し、二階にモアナファミリーが住んでいた。

つまり、食事は家族と一緒に取り、海に行くときはモアナのトラックに板、カメラ、荷物を積み、

更にディンギーを牽引して、驚異的坂道を下って行くのであった。

初日からすぐに出かけ、まずは近場のタアプナでやることになった。

ディンギーをボートランプから降ろし、ラグーンを抜けると、

鮮やかなタヒチアンブルーウォーターワールドが広がっていた。

岸からパドルすると15~20分はかかる遠さなので、

ディンギーは必要不可欠なものなんだとすぐに理解できた。

まずはタアプナの2~3フィートながら、クリンクリンに巻いたレフトをサーフ。

ディンギーはパスにアンカーを打ち、モアナも自らサーフ、これがまたうまい!

デブリンの割には、クィックモードのラジカルアクション、

更にリーフを見切ったチューブがうめ~~

多分タアプナでは一番うまかったんじゃないかな、、、

俺もディンギーから海に飛び込み水中撮影をしていると、水の透明度が半端なく、

潜ったときのリーフや、サーフボードの動きがくっきり見えるのには心底感動した。

波もいい、天気もいい、水も暖かい、ローカルもフレンドリー、ディンギーは楽チン、

皆で最高だね~と笑みが絶えなかった。

たっぷり1ラウンドサーフし陸に上がると、

モアナは再びディンギーをトラックに装着し車を走らせた。

途中フランスパンのサンドウイッチを頬張りながら、

オールドハワイを感じさせる景色の中を1時間程突っ走ったかな~~?

道のドンツキに車を停め、遠くパスの横でブレイクする波をチェックしだした。

正直、遠くて何だか良くわからん、、、サイズもブレイクも、、、

しかしモアナはここが良いと言って、ディンギーを降ろし始めた。

着いたばっかの時差ボケに、長いファーストラウンドでかなりへばっていたが、

いざ沖に出てみると、先にやったタアプナどころではない。

波のサイズ、クオリティ、全てに迫力があった。

そしてここがチョポだと教えられた。

一般的にはテアフポーとかチョプーとか言われているが、

ローカルが喋ってる言葉をそのまま言わせてもらえば、チョポ、なのだ。

これが、あのエリックバートンの乗ってたエグイレフトか~と水中に入ろうとしたら、

モアナがボートから撮れという。

これまでにそんな経験のなかった俺だったが、チョポではモアナの絶妙な運転で、

水中同様、いや水中以上のカメラアングルで、波の真横から撮影できることを知った。

気怠い午後のセッションも、一気にテンションがあがり、

このチョポファーストサーフで、全員がチョポの虜に成ったのは言うまでもない。

帰りの車の中では、ヒナノビールを飲みながらチョポ談義に鼻が咲いた。

家に帰ってもチョポチョポ、朝になってもチョポチョポ、タアプナ行ってもずっとチョポチョポと、

皆で口ずさんでいたような気がする。

こうして、タヒチファーストトリップで出会ったチョポ詣でから、早30年近くが過ぎた。

時の流れと共に、今や世界のチョポ、

スペクタキュラーウォーターワールドの最先端を示す場所として、

世界中からいつも注目される存在と変化していったのだ。

 

 

そして、2014年5月、コアサーフジャパンの一大プロジェクトとして、

日本屈指の精鋭部隊と共に、タヒチ・チョポツアーを敢行した。

メンバーは、ワキタタカユキ、マツオカケイト、ナカムラショウタ、

フカガワタツヤ、ムラカミシュン、イナバレオと言った強者達。

そして、水中担当のカミオミツテル、ビデオ担当のアルカスビジョン、

スティール担当の俺、総勢9名の大ががりな撮影取材となった。

タヒチサイドのオーガナイザーは、

長年ビラボンプロ・タヒチのコンテストディレクターを務めてきたクリスオキャラハン。

宿はチョポのラグーンに面する、ビーチフロントのペンション。

タヒチトリップで一番重要なボートは、テアフポ・タヒチ・サファリのシンディお姉さん。

ガイドには地元のケオニヤンとマタヒドゥローレットが付き添ってくれた。

5月10日・成田空港に集合し、エアータヒチヌイでタヒチ・パペーテへ、

パペーテ空港からは迎えの車2台に分乗し、約1時間の道のりでチョポに到着。

ラグーンのほとりのナイスなペンションにチェックイン。

海に突き出た2棟には、ケイトとタツヤ、そしてワキタ一人、

キッチン付きの2階建には俺とアルカス。

次の一棟にはショウタ一人、一番後ろの2階にシュンとレオ、そしてカミオが入居した。

ボートドライバーのシンディの家は、ここから300mほど離れた海沿いなので、

毎日指定した時間に船で迎えに来てくれ、そのままチョポへのルーティンとなった。

食事は朝夕付きで、朝に出てくるフランスパンにハムやオムレツを挟み、それがランチにもなり、

夜は肉や刺身などバラエティーに富んだディナーで大満足。

皆はあまり飲まないが、俺は来る道中ガッツリとヒナノビールを買い溜めし、

撮影後のヒナノタイムを楽しんでいた。

朝まだ暗いうちに朝食を済ませ、各々ボード、ウエット等を持って桟橋に集合。

すると指定した時間ぴったりにシンディの船がやってきて、

皆の大量のボードやカメラ機材を乗せ、船で10分のチョポをまずチェック。

良ければそのままチョポでサーフ&シュート。

良くなければ、テアバイティやヴァイラオのパスをチェックに行ったり、

洞窟・滝へ観光に行ったりして過ごした。

タヒチ入りしてからの数日はスモールコンディションだったが、

予報通り5月13日にビッグスエルがフィルインし、ようやくチョポが覚醒してきた〜

このスエルに合わせるようにジョンジョンやリカルドドスサントスも登場し、

まるでパイプラインの様な大セッションが展開されていった。

タヒチには何度となく訪れているワキタは、ジョンジョンやリカルド等と波を共有し、

チョポに戻ってこれた喜びを身体中から滲ませ、全く海から上がってこなかった。

ケイト、ショータ、タツヤはいぶし銀のバックサイドで、

スリリングなバレルをメイクし超ストーク。

若手のシュンとレオは、やはりまだまだセットの波には手をつけられず、

インサイドの小振りチューブを貪っていた。

ウォーターフォトグのカミオは水を得た魚の如く、チョポのバレルの中を泳ぎまくり、

ある時はフィッシュアイとゴープロで、ある時はビデオで、

とにかくサーファーとコネクトする事に集中していた。

一方、俺とアルカスは、シンディの巧みな運転で、

ほぼ撮り逃がす事なくチョポの映像を収めていった。

翌14日もチョポはスティルファイアー、天気は昨日より悪くなったものの、

6〜8のバレルがローリングしていた。

昨日のファーストチョポデイから様々なことを学び、今日もソリッド2R・チョポにロックオン。

とにかくチョポでは、あの分厚くそそり立ったピキピキテイクオフを決め、

ノーボトムターンでバレルにねじ込み、

後はエンドボウルの出口に向かってレール・ノーズをセットするのみ。

いたってシンプルな方程式なのだが、

この一つ一つにハイテクニカルかつ野性の直感が必要となる。

ブレれば酷いワイプアウトが待っているし、そのままラグーンにまで持っていかれてしまう。

イエスかノーか、行くのか行かないのか、がチョポの鉄則であり、チョポの方程式でもある。

チームジャパンの神風プルインも凄かったが、ジョンジョンとリカルドの捉える波、

プルインのタイミング、エグさは驚異的だった。

偶然ながらも彼らのサーフィンを見れてよかった、彼らと一緒にセッションできて光栄だった。

写真や動画で見るのとは違い、生のライディングを、

それも特等席とも言える船の上から見れるなんて、、、

後、こういった波になった時の、彼らのスタミナの凄さにも驚かされる。

お腹が空いた、疲れたとかがなく、水補給してはまたピークに戻り、

これでもか〜と、ひたすら波に乗りまくる姿は清々しくも凄まじかった。

こうして丸二日間のビッグチョポデイズに当たり、

日本人の貴重なフッテージを記録することができた。

その時の模様は波伝説のブログとデイリークリップで発信していたが、

インターネット環境が良くなく、時間のある時にシンディの家まで行って、

蚊に刺されまくりながらアップするのも楽じゃなかった〜ワラ

波が落ち着くと今度はテアバイティ(スモールチャンネル)のライト&レフトでエアーセッション〜

サーファーも撮影してる側も、いつもいつもチューブじゃ飽きてきちゃうので、

こういったアクションデイも必要になってくる。

テアバイティは基本ライトだが、シュンだけはいつもレフトに行き、

一人で黙々とシャローレフティを楽しんでいた。

一方ライトでは、ショウタ、ケオヤン、レオ等がぶっ飛びエアーを見せつけてくれた〜

その後5月18日に少しサイズアップしたものの、前回のチョポを上回るスエルにならず、

やや小康状態が続いた後、トリップ終盤の5月21日と22日に、あのチョポの姿を現してくれた。

もう後がないので、皆も再びチョポにフォーカスし、とにかく日没までサーフドアウトしまくった。

いつもチョポからの帰りにはゴージャスかつエキゾチックな夕焼けに覆われ、

心がホクホクする様な、なんだか涙が出てきそうな、

そんなファンタスティックかつセンチな気分になってしまう。

皆、大きな怪我もなく、波にも当たり、

素晴らしいサーファー達とセッションを共有し、最高のタヒチトリップとなった。

タヒチにいる時ワキタと、

ハワイもそうだけど、やっぱチョポにも毎年来なければダメだよね〜と話し合ったりしていたが、

実際この時以来タヒチには行っていない、やはり物価が高くておいそれとは行けないのだ。

1991年初めてタヒチに足を踏み入れて以来、チョポの魅力に取り憑かれ、

続けて10数年タヒチに通い続け、

パイプとはまた違った強烈なチューブセッションを記録し続けてきた。

それでもまだ心のどこかで、

今現在の日本選抜チューブライダー達とチョポセッションをしてみたいと、想い願い続けている。

 

 

 

 

 

スクリーンショット 2020-06-07 9.13.09Takayuki Wakita

 

 

 

 

スクリーンショット 2020-06-07 9.16.48Keito Matsuoka

 

 

 

 

 

スクリーンショット 2020-06-07 9.01.55Boyz @  Tahiti

 

 

DVDの完成がやや遅れておりまする〜

編集手直し、曲変更、追加映像などが増え、

2時間近くの大作になりそうです。

発売は7月上旬予定。

お楽しみに〜〜〜

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

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