6/1 Preview of DVD Surf Pilgrimage 2 / To The Ends of The World vol-4

Naoya Kimoto

Naoya Kimoto
サーフィンフォトグラフ界の巨匠、重厚なショットが魅力のKINこと木本直哉。 16才でサーフィンを覚え、20才からサーフィンフォトグラフィーの道を歩みだす。1981年から冬のハワイノースショアに通いだし、現在も最前線で活躍中。

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@ Skelton Bay  Namibia  Africa

 

 

 

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アフリカ大陸最南端の国は南アフリカ共和国。

その南アフリカのコーストラインは、東海岸がインド洋、西海岸が大西洋に面している。

有名なジェフリーズベイはインド洋側のイーストコーストに位置する。

そしてアザーサイドのウエストコーストを北上していくと、ナミビア共和国がある。

 

ウイキペディア・フリー百科事典より
ナミビア共和国(ナミビアきょうわこく、英語: Republic of Namibia)、

通称ナミビアは、アフリカ南西部に位置する共和制国家である。

北にアンゴラ、北東にザンビア、東にボツワナ、南に南アフリカ共和国と国境を接し、

西は大西洋に面する。

なお、地図を一見すると接しているように見えるジンバブエとはザンビア、

ボツワナを挟んで150メートルほど離れている。

首都はウィントフックで、イギリス連邦加盟国のひとつである。

当初ドイツ(一部イギリス)が植民地とし、植民地時代の名称は南西アフリカ。

第一次世界大戦以後は南アフリカ連邦の委任統治下に置かれていたが、

第二次世界大戦後の国際連盟解散を機に南アフリカが国際法上違法な併合を行った。

南アフリカの統治時代には同様の人種隔離政策(アパルトヘイト)が行われ、

バントゥースタン(ホームランド)が置かれた。

その後、1966年にナミビア独立戦争が始まり、1990年に独立を達成した。
大西洋に面するナミビア西海岸の長さは1572km、その丁度中間あたりに、

天然の良港として貿易で発展したウォリスベイがある。

そのウォリスベイの近くにある、ドンキーベイ(通称スケルトンベイ)と呼ばれる、

2km以上に渡って延々とチューブが続くレフトのポイントブレイクが存在する。

それもサンドボトムで、まるで日本の河口タイプのグリングリンのバレルアフターバレルの波。

海外のメディアで紹介されるや一躍に有名なポイントと化し、

今や世界に名だたるサーファーがこぞって、

この砂漠の果てのスケルトンベイを目指してやってくる様になった。

自分もアンソニーウォルッシュやベンジーブランドが、

ライディング中にゴープロで撮影した映像にはぶっ飛んだ。

それは、テイクオフするやチューブに入り、カムアウトするとまたチューブに入り、

が、サーファー視点で2分近く続いていくのだ。

また空から捉えたドローンの映像は、更にスケルトンベイのクォリティをはっきりと映し出し、

本当に端から端までサンドバーバレルに2分も包まれていくサーファーの姿を捉えていた。

まさにこの世のものとも思えない夢の様な波、いや、もういかれちまった波だった。

日本から見ればナミビアは地球の裏側、世界の果てのイメージがあるが、

いざサウスアフリカまで行ってしまえば、すぐお隣の国と言った身近な存在となる。

前々からとにかく行ってみたい、一眼あのクレージーウエイブを拝んでみたいと思う様になり、

2017年・SAトリップの最後の最後でナミビアへ一人で飛ぶ事になった。

ヒロミチさん達とジェフリーズベイでファンタスティックな時を過ごした後、

ポートエリザベスで別れ、ヒロミチさんはジョハネスバーグ〜香港〜日本へと帰国し、

俺は妻のアルカスビジョンと共に陸路でダーバンへ向かった。

途中イーストロンドンで一泊し、トランスカイを超え、1日半かけてバリトに到着。

翌日からはQSプライムイベント・バリトプロの撮影取材に入った。

しかし日本人はアーリーラウンドで皆敗れてしまい、

レオとシュンはフライトを変え、敗れた翌日には帰国してしまった。

残ったダブルヒロトも、次のムラサキ湘南プロが迫っているので帰りたそうだったが、

チケット変更がバカ高だったので、仕方なく予定通り最後までバリトにステイしていた。

試合の撮影もあるが、肝心の日本人が居なくなり、俺的にもテンションダウン、、、

そんな時、ナミビアの波予報をチェックしてたら、

明後日〜明々後日にスケルトンベイがアップ予報になっていた。

行ってくれるライダーはいなかったが、とにかく見たい、行ってみようとなり、

慌ただしく前日の夜から準備にかかった。

チケットは日1日と高くなっていったが、

ダーバン〜ジョハネスバーグ〜ウォリスベイの往復フライトを抑え、

後は四駆のレンタカーを借りるか、ガイドを雇うか、それに宿をどこにするかだ。

ジェフリーズベイにいる時から徐々に調査を進めていたので、

どうもウォリスベイに住む、ショーンローブサーと言う人がガイドをやってると聞いていた。

思い切ってFBのメッセンジャーでメールしてみたが返信はなかった。

そのショーンのFBを見たら、スワコップモンドの町にあるバックパッカーが紹介されていたので、

今度はそのバックパッカーにメールすると、すぐに返信があり、

泊まれる、空港ピックアップも可能ときた。

更にスケルトンベイに行きたいならガイドを紹介するとのことだった。

話がトントン拍子に進み、クレッグモアランドと言うサーファーと連絡を取ってみよ、

となり、早速クレッグにメールしてみると、

空港ピックアップからスケルトンベイガイドをやってくれる事になった。

ナミビア、、、一体どんな所で、どんな波が、どんな人が迎えにきてくれるんだろう?

と、久々ワクワクドキドキ気分の手探りの旅となった。

今回はライダーなしなので、妻のアルカスビジョンはバリトに残ってもらい、

俺一人で、ダーバンからジョハネスバーグ、

そしてジョハネスバーグからナミビアのウォリスベイへとフライトした。

朝一にダーバンを発ち、昼過ぎにはウォリスベイに到着〜

飛行機から眼下に見える景色はまさにデザート、砂漠の大地だった。

飛行場も殺風景な砂漠にポツンとあり、イミグレもなんか適当?だった。

同じフライトには、エヴァンガイゼルマン、ブレットベイリー、

ヤーディンニコル、ブレットシンプソン等が居た。

閑散とした空港を出ると、ガイドらしいクレッグモアランド君が出迎えてくれた。

本職はサファリツアーのガイド・オーガナイザーだと言う。

クレッグの四駆のトラックに荷物を積み、スケルトンベイに行こうとしたが、

今日はスエルがまだ小さいので行っても仕方ないので、他のポイントを案内すると言われ、

空港からウォリスベイを抜け、北に位置するスワコップモンドへ向かった。

道中ももちろんデザート、町を抜けると砂漠砂漠で枯れた土地だった。

スワコップモンドに着くまではずっとコーストラインだったが、

まだそこまでスエルは上がっていないのが理解できた。

そして砂漠の中のオアシスの様なスワコップモンドの町に着くと、

まずはスワコップモンドパイプと言われるブレイクに案内してくれた。

ここでは頭くらいの掘れた波が割れていて、2〜3人のBBがサーフしていた。

スケルトンベイに波がある時は、

恐らくこのスワコップモンドパイプもファイアーしてるに違いないだろう。

その後軽く街を案内してもらい、早めにバックパッカーにチェックインし、

クレッグには明日早くに迎えにきてもらう様に頼んで別れた。

バックパッカースタイルの宿に泊まるのは久々で、2階の広間に10台近いベッドが並べられ、

男女問わず一つおきくらいでシングルベッドを使っていた。

ちなみに俺の隣の隣はサウスアフリカから来た若い女性で、しばらくナミビアで働くと言っていた。

逆隣はブラジリアンの男性が旅行で来ている様だったが、イビキが凄くて参った〜

夕方はスワコップモンドにある、ハンティントンのような長いピアを先まで歩き、

暗くなってから街のスーパーでビールと食料を調達し、

大人しくバックパッカーでファーストナイトを過ごした。

朝早く、周りの人たちを起こさない様に一階へ行き、お湯を沸かして紅茶を飲んでいたら、

クレッグ君が予定通り迎えに来てくれた。

折しもフルムーン、エキゾチックな満月がお空にぽっかり、

月明かりで見えた海は、やはり昨日よりカミンアップしている様だった。

スワコップモンドからウォリスベイに戻り、街を抜け、塩田地帯を走り、

やがて四駆にしなければ走れないビーチを突っ切り、夜明け前にはポイントに到着した。

まだ暗かったので波はよく見えなかったが、

東の砂漠からの朝焼けがスーパーゴージャスで感動〜〜

ようやくラインアップが見えだすと、頭くらいのレフティが延々と繋がっていくのが見えた。

まだまだ炸裂とまでは言えないが、岬をラップした波が次から次へとサンドバーに沿って、

規則正しくピールし、ブレイクしていった。

さて、日も出て来たのでようやく本格的にラインアップショットを撮影しようと思ったら、

なんでか海がザワザワしだし、あっという間にオンショアが吹き出してきよった〜

と同時に、元々寒くてダウンジャケットを着ていたが、

それでも耐えられないくらいに気温がグイグイと下がって来た。

するとずっと沖にあったドス黒い雲が物凄いスピードでこっちへ向かってきた。

やがてその雲は霧となり、あっという間にビーチは視界ゼロとなってしまった〜〜

更に霧雨も降り出し、寒さも更に増してきたので、

しばらく車でヒーターをつけながら待機していたが、

いっこうに霧は晴れるどころか更に濃くなっていくばかりだった。

サーファーもとてもじゃないが海に入れる状態じゃないので、しばらく待機しては皆帰っていった。

クレッグもこれは今日は厳しいから一旦退却しようとなり、

視界ゼロのビーチを、車の轍を見ながら脱出していった。

塩田地帯〜ウォリスベイに来ると若干霧はましになり、

グレッグの提案でサンドデューンを見に行こうとなった。

空港寄りの内陸部へ行くに従って霧は晴れ、気がつくと街を抜けるとドピーカンになっていた。

しかし海の方を振り返るとそこだけ暗雲に覆われていた。

サンドデューンは風によってその姿を刻々と変え、太陽の位置によって光が変わり、

砂の芸術、見事なコントラストを醸し出してくると言う。

ここに来ると、さっきまでいたビーチの寒さ・暗さが嘘の様に、暑く・明るいのだ。

相変わらずオンショアは吹き荒れているので、今日はもう諦めスワコップモンドの宿に戻り、

明日のラストデイに望みをかけることにした。

朝が早かったのと、あの激寒にやられ、ホットシャワーを浴びると、モア〜っと一気に睡魔が襲い、

午後から夕方にかけて爆睡してしまった。

て言うか、バックパッカーには日中他の人がいないので、

リラックスして眠ることができた、と言っても良い。

夕方、外はまだオンショアが吹き荒れ寒く、買い物行くのもブルブルと凍えるほどだった。

とりあえずビールと食料をゲットしてバックパッカーに戻り、

隣のベッドの鼾のうるさいブラジリアンとペチャクチャ喋りながらドリンクオン〜

俺は明日も朝が早いので早めの就寝だが、特に目的のないバックパッカー達は、

皆意気投合して夜の街へと繰り出していった〜

翌朝早くからクレッグの迎えを待っていたら、

昨夜のバックパッカー達がへべれけで朝帰りしてきよった〜

また宿で呑み直そうとしている彼らを横目に俺はチェックアウトし、

クレッグと共に悲願ラストデイのスケルトンベイへと向かった。

風は止み、むしろオフショアにスイッチしていた。

果たしてポイントに到着すると、すでに数台の車がビーチに並んでいて、

ラインアップにも数人のサーファーが確認できた。

一昨日のフライトで一緒だった、

エヴァンガイゼルマンやブレットベイリー等がチューブを抜けまくっていた。

ポイントが広大なので、どこから撮れば良いのかわからなくなるくらい、

とにかく波が長い、果てしなく長い。

スケルトンベイをやり始めた頃は、サーファーがインサイドのインサイドまで乗っていくと、

車で迎えに行って、また車でピークへ戻すというやり方だったようだが、

今はビジターの車が多すぎ、車送迎は禁止になったそうだ。

だから遥かインサイドまで乗っていくと、

ビーチを歩いて戻ってくるのに1時間近くかかってしまうこともある。

一定の場所から撮影していても、もっとピークが良かったり、もっとインサイドが良かったりと、

ランドから撮影するのも難しいが、

水中なんかあっという間に流され、コネクトもしにくいのではないだろうか?

やはりスケルトンベイはドローンがベスト、

そしてサーファー視点のゴープロが臨場感ある映像を撮れるって訳だ。

グレッグに頼んで、車で並走してもらったが、

ガタガタ振動しすぎでうまく撮影できなかったりと苦戦を強いられた。

デイー3・ラストデイは天気も良く、波も3〜4でファンサイズ、

スケルトンベイの雰囲気は掴んだって感じでストーク!

今日の午後のフライトに合わせ、午前11時には現場を発ち、空港へ送ってもらい、

ウォリスベイ〜ジョハネスバーグ〜ダーバンへと慌ただしく帰っていった。

これが2017年・初めてのナミビアトリップだった。

 

 

 

 

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そして翌年・2018年もサウスアフリカトリップを企て、

タナカヒデヨシ、ナカムラタクミ、サトウガイ、更に波伝説代表のカトウミチオ氏等と、

ジェフリーズベイへ行くことができた。

素晴らしいジェフリーズデイズを送り、ヒデヨシとカトウさんはPEから帰国し、

タクミとガイは俺はダーバン・バリトへ移動した。

昨年同様バリトプロが行われ、レオ、ダブルヒロト、タクミ、ジョー達が参戦した。

試合の撮影取材もやりながら、俺は虎視眈眈とナミビア行きを狙っていた。

今回はレフティのガイが行くことになっていたからだ。

そしていよいよその時が来たので、昨年ガイドしてくれたクレッグに連絡すると、

今回は本業でもあるサファリツアーの仕事が入っているので自分はできないが、

友人を紹介するので大丈夫だと言ってくれた。

そしてチケットの段取りに入り、

今回はダーバン〜ケープタウン〜ウォリスベイ〜ジョハネスバーグ〜ダーバンとなった。

タクミも誘ったが、今回はバリトで留守番しときます〜つ〜ことで、

俺とアルカスビジョン、ガイの3人パーティーとなった。

朝一のダーバン空港に行くと、ベンジーやコアスミス、

デイブキャッスルといったQSサーファーも同じフライトだった。

切り替えの早い外人サーファーは、試合に負ければ、今度は貪欲に良い波を求めていくのだ。

昨年とルートは違うが、朝一にダーバンを出て、昼にはウォリスベイに到着〜

なんか昨年と違い、イミグレにすごく時間がかかり、ようやくナミビアに入国すると、

グレッグの友人であるデレクムールマンという格好いい兄ちゃんがハマーで迎えに来てくれた。

今日はもう波があるそうなので、空港から直接スケルトンベイへ行くことにした。

砂地に入る前に4本のタイヤの空気を1分ずつくらい抜き、ビーチを突っ走ってポイントへ〜

波は頭くらいあるものの、風がジャンクなので、そのままビーチを走り、

スケルトンベイ(地元ではドンキーベイと呼ぶ)の

インサイドインサイドに建つ灯台まで行ってみた。

昨年はここまでのディープゾーンまで来なかったが、

この辺は車も人もあまり来ないのかシールが群れをなしており、

臭いも動物臭のなんとも言えない生臭い異臭を放っていた。

俺等が近づくと一斉に海へ逃げ、離れるとまたビーチに上がり日光浴をしている。

そんなアザラシを狙いに、狼のようなジャコブスがこんな何もないビーチをウロついている。

夕方までビーチをクルーズし、風が凪出して来てからガイはパドルアウトし、

なんだかんだ陽が沈むまでスケルトンベイでサーフドアウト。

それからウォリスベイのスーパーで買い物し、今回の宿でもある、

スワコップモンドにあるデレクの自宅に戻ると、もう9時頃になっていた。

明日こそはザデイになりそうなんで、ビール飲んで、早めの就寝〜

2階建ての広い家なんだけど、とにかく寒い、寝てても寒くて何度も起きてしまったくらいだ。

そんな訳で朝も暗い内から目覚め、スケルトンベイに行く準備をしていたら、

2階からデレクやガイちゃんも降りて来、ガイはなんか一人で寝てたら怖かった〜とビビっていた。

スワコップモンドからスケルトンベイまではなんだかんだ45分くらいかかるので、早めの出発〜

オールデイ・ロックオンザビーチが予想されるので、水、食料を持参してのぞんだ。

昨年同様満月の空の下、ビーチを四駆で爆走してポイントへ行くと、

多くの車がすでにビーチにずら〜っと並んでいた。

30台近くのレンタカーと思われる同じような四駆が、広く長いビーチに停まっていた。

陽は明けてなかったが、満月の灯りで海は見え、3〜4、いや4〜5〜のラインアップが、

遥か奥から、そして正面、

そしてそしてインサイドへとニョキニョキグリングリンとブレイクし続けていた。

ワオ〜去年よりもサイズがあるし、次元が違うぜ〜とおったまげていたら、

また急に霧がかかりだし、またまた視界がなくなって来た〜

おいおい去年と同じかよ〜と思っていたが、今回は1時間もすると霧が晴れだし、

逆にドピーカンとなり、そのまま丸一日オフショアで、

水平線に陽が沈むまで波はゴーインオフし続けた。

今回はメンツが凄く、ハワイからコアロスマン、ネーザンフローレンス、ビリーケンパー等が、

ずっとこのスエルを待ち続けていたようだった。

もちろん世界各国からのアンダーグランドチューブライダーが

スケルトンのこのイカれた波を求めて集結していた。

ガイはフルスーツに着替えると、結果1日中ウエットを脱ぐことなく、

奥まで歩き、波をとらえ、そして流されながら沖へ戻り、

また波をとらえ、そしてまたパドルバックし、波を捉え、、、を繰り返し、

今度は小一時間かけてビーチを歩いて戻り、デレクの車に戻ると、水を飲み、

少し食べては、また見えなくなるほどの奥の奥まで歩き、

流されながら沖に出ると、自分のところに来た波を捉えてはプルイン、

カムアウトしてはプルインを繰り返していった〜

午前中は潮が干いていたので気にならなかったが、

潮が満ちてくると、さっきまで車を置いていた位置まで水が来出し、

ほっておくとズブズブと柔らかい砂地に埋もれていってしまう。

当然水が来るから撮影ポジションもプルバックしていかなければならないし、

あまりインサイドにいると、海水が来すぎて戻ってこれなくなってしまうようになる。

ガイドのデレクは様子を見ながら車を動かしてくれ、

俺等も車の屋根から撮影するようになっていった。

波はまさに日本の河口タイプで、グリーニーなウォーターカラーに砂が混じり、

ブラウンカラーのバレルがずっとずっとピールしまくっていた〜

一定の場所から撮影している俺たちにはわからないことだったが、

コアスミスは一本の波で2分間ずっとチューブの中にいたというし、

ネーザンフローレンスはインサイドインサイドのショアブレイクがお気に入りとなり、

誰も見えないところでシックバレルを堪能していたというし、

ガイも俺等のポジションを過ぎてから、

一本の波で5回もチューブに入っては抜けれたと言っていた。

正直ランドからでは限界があることをまざまざとわからされたセッションとなった。

エキゾチックな淡い赤い太陽が大西洋に沈むまでガイは海にへばりつき、

俺等も丸々1日、スケルトンベイのビーチに居続けた〜

体は冷えきりまくって、ガイは揉まれすぎたのか、鼻水ジュルジュル状態、、、

今日がナミビアラストナイトなので、デレクが家でナミビア式のBBQディナーを振舞ってくれた。

疲れ切った体に肉とビールが最高〜〜

食い終えると、もう着替えることもなく、

ダウンジャケットにパッチ、ジーパンのまま泥のように眠り、

翌朝は霧が深いので出発を少し遅らせスケルトンに向かったが、

波は一気にサイズダウンしてしまい、肩〜頭〜くらいだったが、それでも充分いい波だった。

ガイは鼻水ジュルジュルカゼ気味のためノーサーフ。

しばらく見ていたが、霧もいまいち晴れてこないので、

これにて終了とし、サンドデューンを探検に行った。

昨年は外側から眺めただけだったが、今回デレク君はデューンの中にまで四駆を入れ、

また違った砂の芸術を拝むことができた。

ウォリスベイから飛行機が飛び立つと、眼下にまた広大なナミビアデザートが見え、

そのずっと向こうにはスケルトンベイがかすかに見えた。

昨日のあのクレージーな波は現実のものだったのだろうか?

それともオイラはまだ夢を見ているのだろうか?

旅の中で出会う波、出来事全てが現実離れしている、、、

旅はまさにトリップ・トリッピーで、

やっぱ、どっか、ぶっ飛んで、いかれちゃってるよね〜ワラ

 

 

 

 

 

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