4/13 Story of The Surf Pilgrim vol-13

Naoya Kimoto

Naoya Kimoto
サーフィンフォトグラフ界の巨匠、重厚なショットが魅力のKINこと木本直哉。 16才でサーフィンを覚え、20才からサーフィンフォトグラフィーの道を歩みだす。1981年から冬のハワイノースショアに通いだし、現在も最前線で活躍中。

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@ Shirobo  Cape Wakayama  Wakayama

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和歌山県北部・大阪との県境近くにある和歌山岬は、

紀伊水道の終点であり、大阪湾の入り口に位置するスラブレフティだ。

1983年、初めて水中ハウジングを手に入れ、

いよいよ本格的にウォーターフォトグラファーを目指していたその年の秋、

千葉・部原でマルイの世界大会が行われていた時台風が発生し、

すでに試合に負けていたオモテギケイジ君と急遽和歌山へ行くことになった。

1979年に行ったオーストラリアで仲良くなった

ドミニックワイブロウというオージーのシェーパー・サーファーも一緒だった。

ケイジ君の運転で千葉から一気に和歌山までワープ。

朝目覚める頃目指すポイントに到着〜

岬の突先でパッコーンと炸裂するレフティが見えた。

それはまるでインドネシアのポイントブレイクの様なパーフェクションだった。

天気は良くなかったが、風はグラッシー、4〜5ftのホローレフト、

すぐに水中ハウジングに135ミリのレンズをカメラにセットしてゴーアウト〜

沖にはローカルサーファーに加え、

プロのウエダマサヒロ君、オモテギケイジ君、ウキモトカズヤ君、

それに同行したOZのドミニックワイブロウ、CALのロンクイグリーもラインアップした。

波は今で言えばメンタワイのマカロニの様なレフトで、

ファーストブレイクが棚割れのチューブ、

その後はリーフに沿ってショルダーが張ってくるポイントブレイク。

大阪に近い和歌山のこんな所にこんな凄い波があるなんて、

と初めてこのポイントを知ったオイラは正直おったまげた〜

丸一日サーフ&シュートした後は、

このポイントの目の前にある海の家”ゴンベイ”での飲み会となった。

昔ながらの簡素な建物に所狭しと海から上がったローカルサーファーが集い、

ビールとおでんでドリンクオン〜

どこかタイムスリップした様なレトロな海の家”ゴンベイ”、

荒いが素朴な和歌山岬のローカルサーファーと意気投合し、

気が失うまで飲みまくったことを思い出す。

朝目覚める何処か誰かの家で寝ていた、

それがシラスの山利・キムラケイイチさんの家だった。

新鮮な釜あげシラスと白飯をかっこんでまた和歌山岬へ〜

衝撃的なこの和歌山岬と巡り合ってからは毎年のルーティンとなり、

その後多くのプロサーファーを連れて行き、

数え切れないくらい素晴らしい波でセッションし、

海から上がればゴンベイで楽しいビールセッションをローカルと共有していった。

和歌山岬の歴史は古く、1970年代初期にハナちゃんことハナダツネカズさんが、

家から見える岬の突端で割れるこのレフトを見つけたことから始まる。

当時は岬の先まで行く道も今の様に舗装されてなくガタゴト道だったという。

その頃からこの人里離れたこの岬に海の家ゴンベイはあったらしく、

ハナちゃんとケイイチさんが波のことを尋ねると、

ゴンベイのオジイから、岩の上で凄い波はいつも割れとるよ、と返事が返ってきた。

そして1973年にハナちゃん、ケイイチさん、ナベさんことワタナベアキラさんの3人で、

この岩場のレフト・和歌山岬を初めてサーフしたという。

そしてパイオニア世代の一人・アキヤンことナカイアキラさんが中心となり、

”青よりも青く”というクラブが発足し、

ブルートのオカダさん、ヨシダアキフミさん等の第一世代から、

リッチャンことナカヤマユキオさん、オンジケンさん、

ハナダトオルさん、ドイイサオさん等の第二世代を経て、

ハナタニアキラ、イシイちゃん、ツジ君、ヤカワ君等の第三世代、

大阪からはチバコウヘイ、ウエダマサヒロ、オモテギケイジ、ウキモトカズヤ、

ピロンことイシカワヒロノリ、コウノヨシジ、カンノン等が通い出し、

第四世代のイリグチ、タイゼン、サコ、ナカイ、

そしてトマリ、タニウチ、ムラマツ、ケンスケ達の

ヤングジェネレーションへと繋がっていった。

今もクラブは継承され、和歌山岬杯の優勝者には

当時トルコ(ソープランド)チケットというユニークな賞が与えられた。ワラ

和歌山岬は南西のうねりがベストで風は北東、つまり南から上がってくる台風や低気圧に反応する。

東寄りのスエルは大きな紀伊半島のブロックで全く入ってこない。

紀伊水道の影響が大きく、干潮時には波が静かになるが、

潮が動き出すとまるで魔法の様にサイズアップしてくる。

1980年代、磯ノ浦にある住友金属工場の埋め立て工事が行われてから、

紀伊水道の流れが変わったのか、

潮の干きより、満ちこみの方が良くなってくる様になったと言われている。

大阪湾に入っていく大きなタンカー船が沖を行き交い、

その向こうには友ヶ島、淡路島、遠くには四国も見える。

すぐそばに磯ノ浦というポピュラーなビーチがありながらも、

この和歌山岬だけは徹底したローカリズムが敷かれ、

ここに出入りできるのは認められた会員(サーファー)のみとなっていた。

岬に通じる一本道、

そのドン突きにローカルの溜まり場でもあり検問所の様なゴンベイもあることから、

今尚混雑することなく、個性豊かな和歌山岬ローカル達によって守られている。

トップの写真はメインブレイクの右手で割れる白棒(ホワイトポール)のビッグレフト。

初期の頃はリーフが浅いということでアンタッチャブルだったが、

ここを訪れたプロサーファー達によって開拓され、

今は満潮時にローカルもアタックする様になった。

写真はデイズエンド、

一日のセッションを終え、淡路島の方に沈む夕陽とラインアップを見ながら、

ゴンベイではいつもの宴が始まるぜ〜〜

そんな思いが詰まった一枚だ。

 

 

 

 

 

 

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和歌山岬のメインブレイク。

ワールドクラスのホローレフトだ。

 

 

 

 

 

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和歌山岬ローカル全員集合〜〜

 

 

 

 

 

 

img023Akira Hanatani

 

 

 

 

 

img022Hirofumi Iriguchi

 

 

 

 

 

img024@ Cape Wakayama

 

 

 

 

 

 

 

 

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