Riaru Ito @ Playa Zicatela Puerto Escondido Mexico 2021
2021年6月、コロナ禍真っ只中で何処にも行けなかった時、
伊勢志摩のニシゼコ君とたわいない会話から、
メキシコはPCR検査もワクチン接種も要らず普通に入国できますよ、
実際息子のアツヤはもう半年近く向こうに居ますと聞いた。
このご時世でやや有り得ないと思ったが、
実際調べてみるとメキシコは世界でも数少ないコロナ政策をひいてない国だった。
更にニシゼコ君は成田空港からメキシコへはANAの直行便(20万円)が飛んでるから、
アメリカとかに経由しなくて済むから尚イージーですよと。
まさかのまさか灯台下暗し、波に旅に飢えていたオイラは早速リアルを誘って
メキシコトリップの段取りに入った。
メキシコと言えばプエルトエスコンディード、あの強烈なビーチブレイクだ。
実はそのプエルトには1986年・当時27歳だった自分は
同い年の大阪サーファー・ウキモトカズヤ君と二ヶ月間のプエルトリコトリップの帰りに
メキシコへ立ち寄り2〜3週間過ごしたことがある。
その10年後の1996年にはサーフィンワールドの取材で、
ウシコシミネトウ、スズキナオト、カミジョウマッチ、オガワヒラク、コイケアオイ
といった布陣で再びプエルトエスコンディードを訪れている。
そして25年の時を経て世界中がコロナ禍の中、みたびメヒコトリップが浮上した。
既にニシゼコアツヤが現地にいるので当初は俺とリアル二人で行く予定だったが、
当時まだ16歳だったハラダショウゴも本人の強い要望で連れていくことになった。
その後ショウゴはシカテラバレルに目覚め、毎夏メキシコ詣でを繰り返し、
ビッグバレルのスキルを磨き続け、
昨冬のダフイ・バックドアシュートアウトでは
素晴らしいパイプバレルを2本メイクし、個人4位という結果を残し、
チームジャパン優勝に大貢献するまでのサーファーに成長した。
さて出発当日は成田空港集合となり、俺は大阪から車で、
リアルは宮崎から空路、ショウゴも沖縄から空路で来、
コロナ禍で閑散とした成田空港でチェックインを済ませ飛行機に乗り込んだ。
なんか本当にこのままメキシコシティまで行っちゃうのかな?って妙な気分だったが、
やっぱりANAは快適でビール飲んで飯食って映画観てたらいつしかチーンポクポク、、、
次に目覚めて眼下を望むと赤茶色の荒野が延々と続いていた。
恐らくバハ半島のデザートだろう、、、もうこんな所まで来たのか、、、
してメキシコの山間部に位置する首都メキシコシティに到着〜
カスタムイミグレーションでは食べ物の事でスタックした程度で、
本当にコロナ対策は全く無く無事入国〜〜
確か夕方4時頃着で、国内線のプエルトエスコンディード行きが午後8時前だった。
時間の余裕は充分あったが、搭乗ゲートのインフォがなくしどろもどろ、、、
誰かに聞いても言うことがチリチリバラバラで何気に出発ロビーに辿り着かにゃい〜〜
ようやく探し当てた頃はもう搭乗が始まっている始末。
汗だくだくで最後のフライトに乗り込み、約1時間半のフライトでプエルトエスコンディードに到着。
既に午後9時過ぎで暗く蒸し暑い空港を出ると、
プエルト在住30年以上のミホコさんとローカルレジェンドのロヘが迎えに来てくれていた。
ミホコさんとは最後に来た1996年ぶり、その後日本で会ったぶり、
ロヘ事ロジャーラミレツは1996年の取材の時に
当時ナンバーワンローカルだった彼のパイプのようなビッグウェイブショットを
サーフィンワールドの見開きに使った事を覚えていてくれ、
その時の雑誌も大事に保管してくれていた。
なんだか時が逆流したようなタイムマシンに乗ってきたような不思議な感覚のまま宿に連れていかれ
その夜はロングフライトの疲れもあって皆爆睡〜〜〜
宿はビーチフロントではないが一本裏通りで海までは徒歩3分。
早朝時差ボケも何のその暗い中ビーチをサクサクと歩きメインピークを目指した。
午前6時過ぎ波が見えだすと5〜6〜近くある。
リアルとショウゴはビーチの右端・波が小さい所からパドルアウトし、
徐々に左寄りのピークに進み寄ってきた。
初めはレフトがいいのかな?と思っていたら実はその先のライトの方がファイアしてた〜
つまり初日からパンプパンピングでリアルは水を得た魚の如く、
ライトにレフトにプルインを繰り返していた。
一方ショウゴはリアルの後を追いかけるようにピークをウロウロするだけで波に乗れない。
やがてアツヤも滞在先の人に送ってもらったのかビーチに登場し、
軽く挨拶を交わした後パドルアウトしていき、何気にこの日のウェイブオブザデイをメイクした。
シカテラビーチのルーティンはグラッシーまたはオフショアモーニングから始まり、
やがて暑くなりだすと風が一旦止み、そこからソヨソヨザワザワっとオンショアが吹き出す、
するとそれまでシャープだったバレル、ブレイクが乱れ、最後はガチャガチャグシャグシャに変化、
早ければ午前9時、遅くても午前11時には終了となってしまう。
実際太陽が頭上に昇る頃には灼熱の熱さとなりビーチに立っていられなくなる。
だから日中はなすすべなく宿に戻りクーラーガンガンに効かせてグッタリ休むしかないのだ。
じゃあ夕方はグラスオフするのか?と言えばなかなかそうもいかず、
チョッピーコンディションの中無理にパドルアウトすればイージーブロークボードとなってしまう。
強いて言えば曇天の時はオンショアが吹ききらず終日できる時があったり、
スコールが来て去った後グラッシーになったりもするが、
基本朝一が勝負、それも2〜3時間、これに尽きる。
次に食事事情、、、
プエルトは今や超観光地なのでお洒落なレストランやバーはビーチロードに林立しているが、
昔と違って決して安くはなく、ペソと円の為替も宜しくないし、
何気に外で食べると食当たりになることも少なくないし、
酷い下痢になると復調するまで数日かかることもあるので要注意。
過去2回のメキシコトリップでそこは痛感していたので基本自炊体制。
日本から持ち込んだ米や味噌、カレー、シーゾニングを駆使しながら、
プエルトにできたメガスーパーで野菜や肉を買ってきてひたすら自炊自炊。
そんなある日ミホコさんからローカルのチキンタコスの差し入れがあり、
皆で喜んで頂くと、俺は夜中に下痢をもよおし、ショウゴに至っては嘔吐と下痢のWパンチ。
一緒の部屋だったリアルは顔面蒼白になったショウゴを見て死んじゃうんじゃないかと思ったらしい
確かショウゴは2日ほど寝込んで復調したが、なぜか同じ物を食べたリアルは全く何もなかった笑
再び波の話に戻すと、、、
シカテラビーチの砂は硬く、地形的にリッパブルな波ではなくとにかくホローブレイク、
チューブオンリーと言った方がいいだろう。
更にシカテラの凄さは8〜10ftになってもクローズせず恐ろしいドチューブを形成する。
バンクの良し悪しはシーズンによって分かれるようだが、自分達が言った2021年は当たり年だった。
3週間の滞在中、4〜6ftレンジが続き、時として6〜8〜、マックスデイは8〜10〜にも及んだ。
そんな中リアルは薄く短い板(6’5″x2.6’3″x1.6’1″x1.5’9″x1)を駆使しながらサバイブしていった。
ビッグデイでラインアップしているサーファーが7’台8’台のガンを使っている時でも、
持参した最長の6’5″でソリッドな波を捉え、狂気のプルインを見せつけていた。
特にライトの波で見せる伝家の宝刀バックハンドグラブレールはまさに芸術技だった。
本人曰くバックサイドは3本軸(両足と左手)があるから安定するんですと、、、
もはや次元の違う話でオイラには理解不可能、、笑
5本持参したクィバーのうち真ん中の2本は折ってしまったが、
2本の6”5”で最後の最後まで怪我することなく完全燃焼してくれたリアル君でした〜
そして3週間の間、リアルやショウゴ、アツヤ等を撮影してくれたのが
宿のオーナーでカメラが趣味のヴァンディリエスマエルディアスと
ローカルビデオマン・ハシエルサンチャゴ、俺はスチールと動画半々だった。
ローカルレジェンドのロヘはポイントガイドをしてくれたり、家に食事を招いてくれたり、
ガンを貸してくれたり、リペアしてくれたりと大助かり。
そしてそしてメキシコ滞在中全面的にお世話になったミホコさんには大感謝!!
帰国日は国内線でメキシコシティまで飛び、まずは日本に帰国するためのPCR検査を受け、
8時間後の検査結果が出るまで空港ホテルで休んでいたら、
ショウゴがパスポートに挟んであるはずの出国カードを持っていない事が発覚した。
え〜なんで〜大事な物を〜と問い詰めると、要らない紙だと思って初日に捨ててしまったと、、
ガビーン、どうしよう、ここで16歳のショウゴを置き去りにはできないし、、、
一応ミホコさんには連絡して最悪はプエルトにフライトバックさせると告げ、
打開策を思案、、、そうだイミグレーションに相談してみよう、、、ゲゲ、スペイン語か、、、
兎にも角にも体当たりで喋れるスパニッシュを駆使して聞いてみると、
何気にあっけなく目の前のブースで顔写真を撮ってきてくださいと、
で、顔写真を持っていくとサラッと出国カードを再発行してくださり問題解決〜
帰国寸前で気に病み、空港の端の端っこまで歩かされ、当然の如くショウゴには原爆投下〜〜笑
リアルは横目で、またショウゴやらかしとるわ〜〜と、くすみ笑いを浮かべておりましたとさ。笑
PCR検査は無事皆陰性(翌年ショウゴは陽性で帰国できなかったついでに100日滞在となった)
こうしてコロナ禍のメキシコトリップから無事帰国すると、
そのひと月後、WSL CT戦がメキシコのバラデラクルズで行われていた頃、
プエルトエスコンディードでもついにコロナが蔓延し、
シカテラビーチが一時期閉鎖になるという事態にまで発展したと言う。
Riaru Ito @ Puerto Escondido 2021
@ Playa Zicatela Puerto Escondido Mexico 2021

@ La Punta Puerto Escondido Mexico 1986
@ Playa Zicatela Puerto Escondido Mexico 1986