Making of Movie ” FREE BIRD ” vol-8

Naoya Kimoto

Naoya Kimoto
サーフィンフォトグラフ界の巨匠、重厚なショットが魅力のKINこと木本直哉。 16才でサーフィンを覚え、20才からサーフィンフォトグラフィーの道を歩みだす。1981年から冬のハワイノースショアに通いだし、現在も最前線で活躍中。

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Riaru Ito @ Pipeline North Shore Hawaii  2022

 

日本からウエスタンオーストラリア〜メキシコ〜インドネシアのワールドトリップから

再びショートバージョンの宮崎編に入り、

いよいよ映画は佳境・ハワイ・ノースショアに突入する。

リアルが初めてノースに行ったのが12歳、つまり2014/15ウインターで、

クィックシルバーハウスの外人ばかり中で一人ポツンと孤立していたらしい。

その翌年、リアルはクィックシルバーだったがRLMハウスに泊まらせてもらい、

同世代キッズだったリョウシュンやソウマらと過ごした。

その後、サンセットにあるナルハウスのキヨミさんの元で2シーズンお世話になり、

ついにコロナ禍の2020/21のースショアウインター、

多くの日本人サーファーがハワイに来なくなった。

リアルも家族の反対で行きたくても行けないジレンマの中にあったという。

俺はここまでのリアルの成長を見てきたので、

シーズン後半でもいいからノースはスキップしないほうがいいよ、

なんならウチに泊まってもいいよと連絡すると、

ようやく家族の賛同を得れて2月後半ノース入りすることが決まった。

今もよく覚えているが、リアルを空港へ迎えに行く時は何事もなかったが、

ピックアップしてノースに戻ってくる時なんだか大雨になって来たなぁと感じていた。

ワイメアベイを通り越すと景色は一転、どこもかしこもフロッド(洪水)状態、、、

そういえば道中でも携帯電話に洪水警報のアラームが鳴りまくっていた、、、

特にオフザウォール前が酷く、山から流れてきた鉄砲水がカムハイウェイに流れ込み、

どれだけの深さかわからないくらい真っ茶色の水が池のように溜まり、

至る所で通行不可能状態と化していた。

当然突っ切る車もいたが、殆どの車は手前で止まり様子を見ていた。

自分もしばし止まってチェックしていたが、待てば待つほど水が増量してくると思い、

とりあえず突っ込んでいくことにした。

かつてないほどの深さだったが止まらずにまずパイプ地帯まで行くと、

今度はガスチェンバーの窪みが更に難関だった。

エンジンが止まってしまうことはなかったが、ブレーキに水が入り滑り出したり、

電気系のランプがピコンピコンとツキだしエアコンが効かなくなったりもしたが、

兎にも角にもゴーホームしかない。

ベルジーを過ぎてももう2〜3箇所窪みの池があったが、

やはりあのオフザエリアが一番やばかった、、、

道中サンセットエリアの家はもう床上浸水してるのかと思うほど、

池のように水が溜まりまくっていた。

常々ノースは水捌けが悪く、こういったことはよくあるが、

この日は取り分け豪雨のスピードが早かった。

実際タイゾウがこの日帰国で、ユキノハウスの床下に梱包したガンを置いて行ったが、

その後の大雨でボードケースが庭にプカプカと浮かんでいた様だった。

軽い気持ちでリアルを迎えに行ったら前代未聞の洪水に出会し、

車の調子も悪くなりながらも這々の態でなんとか帰宅し、

まだ雨も止まないのでその日はもう海にも行くことなく家でじっとしていた。

まさにリアル君と共に豪雨からの洪水警報と、まさに雨男となった。

翌日からリアルとセッション開始と思われたが、海はまっ茶色のコーヒーブレイク。

こんな海に入ったら病気になっちゃうので、まずはサウスショアへ、

こちらも薄緑とやや濁っていたがサーファブル、何気にイーストスエルがあるという情報を元に、

タウンからサンディビーチ(ここで1R)経由でマカプウサイドに出ると、

なんとイーストサイドはパンプパンピン〜〜

とりわけマカプウビーチすぐお隣のスラブライトがゴーインオフしていた。

ジークも入っていたので、今日はここがザスポットなんだと確信した。

まさかのマカプウでグッドセッションとなり夕方遅くまでサーフドアウト〜

暗くなってから島の真反対側からイーストサイド経由でノースに戻っていると、

またジャージャー雨が降り出してき嫌な予感、、、なんせ雨男・リアルも一緒だし、、、

カネオヘを過ぎ更なるカントリーロードを真っ暗の中走っていると、

前方で車が何台か止まっているのが見えた、ゲゲまさかまた洪水??

したらやはり道がフロッドし、Uターンしていく車もあったくらい長い池だった。

カネオヘに戻りタウン経由で迂回するか迷ったが、

あっちはあっちでどこかでヤバイ所がありそうなので、前回のオフザ同様突っ込む事にした。

普段通ることのない道だったのでかなり緊張したが、例によって電気系のランプはピコンピコン、

でもエンジンは止まることなくなんとかメイク、ブレーキも何度かのプッシュで正常に戻り、

その後も何ヶ所か難所があったがなんとかノースに帰宅したらもうグッタリ、、、

まさにリアルが来てから災難続きのビギニングとなった。

ノースは相変わらずブラウンカラーの海だったが徐々にクリアアップされ、

スナッパーの様なオフザや、岩が全部砂で隠れたロックパイルサンドバー、

砂がもっこり岸間際のパイプなど、普段見る事がないノースを体験することとなった。

この時は2月下旬から4月初旬までのノースとなり、

帰国後はまだコロナ禍でどこにも動けなかったが、先のブログで書いたように

2021年6月にメキシコトリップを敢行、やがてコロナ禍も終息し、

9月の台風では地元宮崎のレフティで伝説のセッションを展開したりと、

リアルにとって飛躍の年となった。

そんなノリノリの状態で2021/22ノースショアウインターに突入していく。

この冬こそ本格的なキンちゃん合宿(虎の穴)となり、

リアルに加えてタイゾウ&ショウゴの3人で

ストイックなルーティンでノースの波を攻め込み、

1月にはダフイ・バックドアシュートアウトにリアルは初めて出場し、

パイプにおいていよいよその存在感を知らしめることとなった。

リアル・19歳の年。

そして冬が終わると2022年6月、あのミラクルタヒチトリップへと続いていった。

翌冬・2022/23からはサンセットのユキノさんハウスに泊まり、

同世代のボーイズ(ダイキ、ケンシン、ショウゴ等)と

パイプ・バックドア・オフザにフォーカスし、

各々が狂気とも言えるアタックで新しい世代のノース旋風を巻き起こしていった。

この時の冬はシュートアウトに出場しなかったが、

12月に行われた招待選手のみのヴァンズ・パイプマスターズにまさかのインビティを受け、

プロモーションビデオではプエルトやチョポの凄波のチューブライディングと共に、

実家のキュウリ栽培が紹介され、キューカンバーの愛称で外人にも親しまれるようになった笑

その翌冬・2023/24でもワキタタイチと共に2度目のパイプマスターズに招待され、

ザデイとなったラストデイにおいてついにピキピキドセットを乗り込み、

ミッドフェイスターンから狂気のねじ込みプルイン、

ロングカーテンを突っ切りEXITゾーンまで走り、ドギーアウトも有りだったが、

更にそのままクローズセクションまでプーインサイと度肝を抜く一発によって、

ヴァンズからエピックバレルアワードの賞賛をいただくこととなった。

リアルはインタビューでも語っているように、パイプは人生を賭けてやり続けたいと。

そのパイプラインでついに来年1月にCS戦が行われるようになった。

時代はいよいよハワイを避けて通れなくなってきた証といえよう。

 

 

 

 

 

スクリーンショット 2025-08-18 7.46.23Riaru Ito @ Vans Pipe Masters 2022

 

 

 

 

 

 

スクリーンショット 2025-08-18 7.44.56Riaru Ito @ OTW 2023

 

 

 

 

 

 

 

 

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