9/2 DVD 波巡礼2 vol-2

Naoya Kimoto

Naoya Kimoto
サーフィンフォトグラフ界の巨匠、重厚なショットが魅力のKINこと木本直哉。 16才でサーフィンを覚え、20才からサーフィンフォトグラフィーの道を歩みだす。1981年から冬のハワイノースショアに通いだし、現在も最前線で活躍中。

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DVD 波巡礼2・Jun Shiiba @ Western Australia

 

DVD・波巡礼2物語、Vol-2、チャプター3のウエスタンオーストラリア編は
2017年3月にシイバジュン、アズチジョーを率いてロケを敢行した。
4月初めにバリ島・クラマスにてJPSAの初戦が行われるので、
まずはガルーダエアーで日本からバリ入りし、バリ用の荷物を友人に預け一泊だけして、
翌日のジェットスターでバリからWAのパースへ飛んだ。
つまり地図でいうと縦・南〜南へと移動し目的地のマーガレットリバーを目指したって訳。
1980年代後半に初めてウエスタンオーストラリアへ旅して以来、
WAならではの圧巻の自然、波に心を奪われ、その後何度も何度も取材を重ねてきたほどお気に入りの場所となっていた。
時が流れ雑誌時代からSNSワールドに変わって行ったが、WAへの想いは途切れることはなかった。
旅のキッカケは南房総でジェイズサーフを営むオカダシュウヘイさんにあった。
シュウヘイさんはサーフショップもだが、WAで生まれたウエットスーツ・WESTスーツも経営していた。
なので年に一度はWAを訪れるウエスタンフリークでもあった・
そんなシュウヘイさんと旅の話が盛り上がり、行きましょう〜やりましょう〜となった訳。
てな訳でウエストスーツ一番手ライダーのシイバジュン君、
そして当時まだ15歳位くらいだったアズチジョー君を連れていく事になり、
シュウヘイさんも遅れて合流するという事になった。
そんな流れで現地の宿の手配等はシュウヘイさんのWAの友人であるポールマナーさんが仕切ってくれた。
ポールはウエストスーツのオリジナルメンバーの一人だったが、
現在は不動産業を営み、家族とともにマーガレットリバーのお隣・グレースタウンに住んでいた。
これまでのWA取材ではほぼマーガレットリバーエリアに宿を取っていたが、
今回初めてグレースタウン、それもポールの家の前の一軒家を借りる事になった。
日本〜バリ〜パースへとフライトし、パースからレンタカーで4時間ほどのドライブで目的地のグレースタウンに到着〜
グレースタウンにはコワラマップベイが広がり、右端にノースポイント、左端にサウスポイントがあり、
特にノースポイントのライトはWAを代表するポイントブレイクの一つだ。
街の裏手奥にはコンスタントにスエルを拾う、コーベルストーンやレフトハンダーが連なり、
マーガエリアに勝るとも劣らないサーフブレイクが密集している。
かつてマーガにステイしていた時は、まずマーガレットリバーのメインブレイクを見て、
その日何処を狙うかを決めていたが、この時のトリップではコワラマップベイを見て、
小さければコーベルストーンやレフトハンダーをチェックして、
その日一日の行動を決めるようになっていった。
宿はグレースタウンのやや高台・中腹に位置し、フラットハウスの3ベッドルームだが、
キッチン、リビングルーム、テラスは日本では考えられないほど広くて快適だった。
ただWIFIが入らなかったので、毎日家前のポールの家に近寄ってWIFIを拾う生活を強いられた。
WAのウエイブハントはとにかく走る走る走りまくる。
スエルはミディアム〜ラージなら目の前のコワラマップベイが覚醒しノースポイントがファイアーする。
スモール〜ミディアムなら裏手のコーベルストーンやレフトハンダーがワークする。
南に下がりマーガエリアに行くと、マーガレットリバー、ボックス、ガスベイ、ブジダップ、レッドゲート等等。
北へ上がれば、ハネコン、インジダップ、ヤーリンガップ、スーパーチューブ等ワールドクラスの波が目白押し。
だからその日のコンディションを見て、風の良い朝一に狙いのポイントへ爆走するのが日課となるんだ。
今回はジュン、ジョー共にレギュラーフッターだったこともあり、スエルも結構パンプし、
ノースポイントでサーフ、撮影することが多かった。
実はこのノースポイントで滞在中CTイベントが行われ、ある意味ノースポイントの名を世界に知らしめる出来事となった。
もちろんそんな時はノースポイントでサーフできるわけがなく、ジュンとジョーはあんぐりCT選手のパフォーマンスを眺めていた。
午前中はそんなこんなで観戦していたが、やっぱりサーフィンしたくなり、午後はいつものように波を求めて走りまくった。
その結果思いも寄らぬ場所でAフレームのコンパクトなドチューブに巡り会え、最高のセッションとなり、
それがこのDVD波巡礼2のカバーショットにも使われたのだ。
このWA編は1曲のみだが、色んなポイントで撮影され波のバラエティに富んだ編集となっている。
ノースポイントのバレル、コーベルストーンでのエアー、レフトハンダーでのダウンザライン、
レッドゲートでのアクション、そしてシークレットでのチューブ等等。
ジェフリーズベイだと毎日同じポイントでの撮影となるが、
WAでは毎日・毎セッションが違うポイントで行われ、光もアングルもセッションによって変わってくるのが魅力だった。
旅の前半は4人で規則正しく?も楽しく過ごし、撮影も順調に進んでいった。
そして旅の後半になって今回のトリップ発起人でもあるシュウヘイさんが新潟の友人・スズキさんと共にWA入りしてきた。
キャセイパシフィックエアーで香港経由でのパース入りをしたので、パース着がミッドナイト、
そこから真夜中のロングドライブでグレースタウンまで来られたので、確かふらふらになりながら午前4時頃宿に到着。
オイラの朝はいつも早く(ジジイ笑)、暗い内から皆の朝食&弁当を作るのが日課なので、
いつものようにキッチンでガチャガチャやっていると車のライトが見え、庭に入ってくるのがわかった。
いや〜疲れましたね〜と言いながら、コーヒー飲んでまずはお休み〜〜
つまりジョー君は部屋を追い出され?この日からリビングルームで寝ることになった〜ワラ。
基本行動は別々で、俺らは今まで通りマックスの波を求めて朝一出発。
シュウヘイさん達はゆっくりリラックスモードで緩い波で1Rのパターン。
大人の二人が加わったことで夜の宴は楽しくなり、ある時はテラスでBBQをやったり、
WA滞在中に知り合ったヨコヤマタイスケさんの息子・タイ君と彼の仲間達とワインパーチーを開いたり、
寂しい田舎のWA生活が一気に賑やかになってきた。
いつもは違う場所でサーフィンしていたが、一度レッドゲートのビーチセッションではシュウヘイさん達とジョイントすることになった。
心なしかカメラを構えているので気合が入って見えたのは俺だけか?
ポコっと出た腹もなんのその、ジジイリップにジジイチューブを披露、シュウヘイさんやるな〜と思っていたら、
何気に連れの新潟・スズキ君がゴーインオフし、シュウヘイさん以上に素晴らしい写真・映像を残してくれたのも今となっては笑話。
旅の最終日は一番やりまくったノースポイントで皆とラストセッション。
この時はシュウヘイさん達に加え、ポールさんも一緒にサーフィンし、
流石オージーとも言えるポールさんのスタイリッシュなサーフィンを初めて見ることになった。
こうしてグレースタウンをベースにしたWAトリップが終わり、シュウヘイさん達を残して、
俺たちはパースから今度は暑い熱いインドネシアへ飛び、JPSAクラマス戦に臨んでいった。
その後ジュンはコンペシーンから退きチューブの求道者となり、
ジョーは逆にコンペシーンで頭角を現し、各々が違うサーファーのスタイルとして成長していった。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

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