4/20 Hawaii 〜 Japan

Naoya Kimoto

Naoya Kimoto
サーフィンフォトグラフ界の巨匠、重厚なショットが魅力のKINこと木本直哉。 16才でサーフィンを覚え、20才からサーフィンフォトグラフィーの道を歩みだす。1981年から冬のハワイノースショアに通いだし、現在も最前線で活躍中。

IMG_1822

Out of Hawaii

 

今日は5月7日、もう2週間以上も前になりますが、

5ヶ月間のハワイ取材を終え、4月20日のフライトで帰国しました〜

ハワイで出発72時間以内にPCR検査($300・早いけど高い)を受け、

無事?陰性証明書をもらい、

週一便飛んでいる関空行きのハワイアンエアー(片道6万円)で帰国。

飛行機内は来る時と同じでガラガラ状態。

日本に到着すると、いつもの簡単な入国ではなく、

予め取得したQRコードの確認、唾液のPCR検査、その後アプリのチェック、、、

これが面倒臭くて、COCOA(接触確認アプリ)、OEL(位置情報アプリ)、

SKYPE等を一人一人のスマートフォンに入れさせられる作業が待っていた。

スカイプはすでに入っていたが、COCOAとOELを新たにアップロードしなければならない。

まあ係の人がマンオンマンでやってくれるのはいいんだけど、

にゃんと俺の持ってるアイフォンがあまりに古すぎて(アイフォン6笑)、

これらのアプリが入らないことが判明し、

渋々スマートフォンを2週間レンタル(15000円)する羽目になってしまった。

今の規則でそうするしか入国させてもらえにゃいのだ、、、

レンタルスマートフォンにはすでにアプリが入っていて、

OELに関しては明日以降、自分で起動させなければならないようで、

もうフライト疲れと検問に次ぐ検問で何が何だかわからなくなってきた。

そしてまた空港内をグルグルと歩かされ、ようやくPCR検査結果の待合室に到着。

ここで陰性だった人の番号が呼ばれ、やっといつもの税関検査へと進め、

荷物をピックアップし、兎にも角にもようやく入国となる。

到着したのが午後7時前で、外に出れたのが午後9時前、

つまり2時間近く関門に次ぐ関門の嵐だった。

その後迎えに来てもらった車で帰宅(電車やバス等の公共機関を使ってはダメ)

翌日から入国管理局からの健康アンケート(1日1回)と位置情報(1日2回)が、

ひっきりなしにメールやOELに届いてき、返答しなければ電話がかかって来るという、

自主隔離の2週間となった。

なんだかGPSで見張られているようで気味悪かったが、

ようやく5月5日をもってそんな2週間も終了〜〜

ところがどっこい、帰国後間も無く4月25日から緊急事態宣言が発令され、

今日それが5月31日まで延長されることが決まった。

自主隔離中、ウエスタンオーストラリアではマーガレットリバープロが行われ、

ライブ中継を見ていると、選手・スタッフ・観客皆マスクをしていないことに気づくはずだ。

それは前の大会・シドニーのナラビーンでもそうだった。

これはどういうことか?

オーストラリアは強固たるロックダウンを敷いてコロナを封じ込めた、

コロナに勝った、という叫びに思える。

ハワイはもちろんアメリカ全体でもワクチンが凄いスピードで行き渡り、

やがてマスクの要らない生活が戻って来るという。

それに引き換え、これほど裕福で知的な日本は一体どうなっているんだろう、

一体どこに向かっているんだろうとさえ思ってしまう。

それでも時代は刻々と進んでいく。

JPSA第1戦目が5月31日から千葉・一宮でやることになり、

東京オリンピックの出場選手を決める最後の試合、

ISA・ワールドサーフィンゲームスが5月29日から6月6日まで、

中米のエルサルバドールで行われ、

まだテント状態だが、QS戦が6月25日から28日まで静岡で行われる予定となっている。

そしてCT戦はマーガの後、5月16日から26日まで、

WA・パースの沖合にあるロットネスアイランドにて行われ、

引き続きアムロちゃんはインジャリー枠で出場できる見込みだ。

往年のように世界の波を追い求める旅はしづらくなったが、

今年も母国・日本への旅が始まった〜〜

 

 

 

 

IMG_1813@ Honolulu Airport

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

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