MI-chan Tour @ Tahiti 2002
7月17日、世界のサーフィン界にとって悲しい訃報が伝えられた。
ハワイ初の世界チャンピオンであったデレクホーが56歳という若さで亡くなった、、、
そして、そのデレクを20年近くに渡ってサポートし続けてきた、
千葉のテルオカミチヒロ氏(ミッちゃん)が、7月28日、闘病の末天国へ旅立たれた、、、
享年70歳。
そのミッちゃん、そしてデレクとの最大最高の思い出となった、
2002年のタヒチ〜ツアモツボートトリップのお話。
ミッちゃんは40年前にウエットスーツ会社(オーシャンサプライズ)を立ち上げ、
ロックホッパーやウォーリアーズというブランドを作り上げた。
桜井よっちゃんやミッキーカワイさん、若手ではオガワナオヒサやウシコシミネトウ等、
個性豊かな選手を育成してきた。
90年代中期には、マイケル&デレクホー、ジョンシモオカ、オガワナオヒサ、ツジコウジ等
をキャスティングとした、自社ムービー・KOA NALUを製作し、
ラストのナオとデレクのパイプの掛け合いが話題を呼んだ作品となった。
その時のロケの一つでカウアイ島にミッちゃん達と行った時、
マイケルホーがカウアイに来るのはなんと20年ぶりとかで、ローカルの歓迎が凄かった。
空港には泣く子も黙るチャバグリースやカイボーグ等が出迎え、
どこのポイントに行っても貸切状態で撮影をすることができた。
夜になるとビール、BBQとノンストップパーティーで、
チームジャパンはもうフラフラ状態だったことを思い出す。
そんな流れから、2000年になってまたミッチャンから旅のオファーが来た。
デレクとどっかボートトリップがしたいとの事で、
早速タヒチ〜ツアモツのボートトリップを企てた。
メンバーはボスのミッちゃん、デレク、マウイローカルのアナル、
ナオヒサ、イズキ、サトル、ヒロ、のウォーリアーズメンバーに加え、
ワキタとテツ(ウラヤマ)も参加した。
タヒチ・パペーテ空港から近くに停泊してあったキャスケイド号に乗り込み、
まずはタヒチ島のサーフスポットからスタートし、
いよいよツアモツ諸島へ外洋のクルーズに出たが、
天候が悪化し、海は大時化、船が折れてしまうのかと思うくらいの大揺れで、
船は一旦タヒチへ戻り、デレク等は下船して、飛行機でツアモツへ向かうことにし、
俺等は海が凪るのを待ってから、再びツアモツへ出航することとなった。
前回の時化とは一転、快適なクルーズで、1日半で目的の島に到着した。
それに合わせるようにデレク達もフライトしてきて無事合流。
その後はツアモツの島々のパスでセッションを重ねていった。
イズキはまだ10代だったか、一番の若手でトリッキーなエアーが炸裂、
エースのナオはチューブにリップに安定の実力を発揮し、
オキナワンのサトルはいつものように場を盛り上げひたすらチューブを貪っていた。
デレクはマイペースでボートトリップを楽しみ、
アナルはいつもボディガードのようにデレクの側にいた。
ワキタ&テツもツアモツのクリスタルウォーターセッションを心行くまで楽しみ、
ミッちゃんとヒロも、良いムードメーカーで、和気藹々とボートトリップを続けることができた。
ツアモツでファンウエイブを楽しんだ後は、やっぱりチョポでしょ〜となり、
再び丸1日半かけてタヒチへ戻っていった。
山の無い環礁の島ツアモツからタヒチに戻ると、緑豊かな陸地にはホッとさせられる。
残りの日々はチョポエリアで過ごし、ビッグチョポはスコアできなかったけど、
ボートトリップならではの朝一のチョポや、周りのいろんなスポットでサーフ&シュートできた。
1993年にワールドチャンプになったデレクだが、皆とも気さくに接してくれ、
一緒にフィッシングやスノーケリングを楽しみ、夜のヒナノタイムでドリンクオン、
船上のディナーに舌を打ち、ゴージャスサンセットに心を奪われたトリップとなった。
当時のサーフィンワールドでもこのトリップの記事は特集され、
確かキャップをかぶってエアーしてるヤングイズキがカバーとなった。
今こうしてポジフィルムを探し出して、ライトボックスの上でルーペで眺めると、
何よりも皆の笑顔が素晴らしく、ナチュラルなスマイルが写し出されている。
こんな素晴らしいトリップをプロデュースしてくれたミッちゃん、ありがとうございました。
一生の心の宝です。
ミッちゃん、デレク、安らかに、、、
@ Tuamotu
Derek Ho

Naohisa Ogawa
Izuki Tanaka
Satoru Nakachi

Michihiro Teruoka
Derek , Mi-chan , Raimana
Cascade @ Tahiti
https://1world.co.jp/products/detail/5361