6/18 Story of The Wonder Wave Land vol-1

Naoya Kimoto

Naoya Kimoto
サーフィンフォトグラフ界の巨匠、重厚なショットが魅力のKINこと木本直哉。 16才でサーフィンを覚え、20才からサーフィンフォトグラフィーの道を歩みだす。1981年から冬のハワイノースショアに通いだし、現在も最前線で活躍中。

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昨年の9月、還暦を機に、

ブエノブックスから写真・波巡礼・The Surf Pilgrim を出版させていただいた。

でも実は、30年前、

1990年に大阪の岳洋社から初めての写真集・波ノ園・The Wonder Wave Landを作り上げていた。

事の発端は、20代前半富士川に行った時、

トダちゃんの友人でケンちゃん事マツイケンジ君と知り合うことになった。

当時ケンちゃんは静岡の大学に在籍し、卒業したら故郷・大阪へ戻り、

父の経営する出版社・岳洋社で働くことになっていった。

酔って騒いでいるうちに、ケンちゃんが、

やがて親父の跡を継いだら、うちからキンちゃんの写真集を出そう、てな話で盛り上がった。

当時まだまだ駆け出しのカメラマンだったが、

毎冬ハワイへ通い、冬が終わると世界の何処かへ旅を重ね、

台風シーズンになると日本の素晴らしい波を発掘していくと言った、

まさに波と共にの生活スタイルを続けていた。

30歳までに、インドネシア、オーストラリア、サウスアフリカ、

レユニオン、ポルトガル、スペイン、フランス、

ペルー、プエルトリコ、メキシコ、カリフォルニア、ハワイ等を旅し、

昔の事で覚えているかわからなかったが、ケンちゃんに写真集の話をしてみたら、

会社の会議にかけてくれ、なんと本当に写真集を作れる事になった。

1990年の夏、大阪の実家に戻り、

過去10年の写真の中から思い入れの強い作品をセレクトしていった。

ペルーの友人・リカルドラバルテが突然来日してテイクケアしたり、

ハワイの友人・ロニーバーンズがモトクロスの事故で急逝してしまったり、

様々な出来事があったが、ようやく写真が出揃い、後はケンちゃんに任せて、

9月に入ると、フランス〜スペイン〜ポルトガル〜モロッコのロングトリップに出かけた。

そして10月にヨーロッパから帰国したら、写真集・波ノ園、が出来上がっていた。

紙質、印刷、何よりも自分の写真は、昨年出版した”波巡礼”に劣るが、

何だか青臭いながらも勢いだけはあったなあ、と感じさせてくれる写真集となった。

その”波ノ園”のカバーを飾ったのが、確かノース4シーズン目(1984年)に撮影した、

バテンスのサンセット・インサイドボウルの水中ショットだった。

前年の冬からスコットプライスのハウジングを手に入れ、135mmのレンズを装着し、

サンセットビーチのウエストピーク、ウエストボウル、インサイドボウル、

サンセットポイントを隈無く撮影し、

中でもインサイドボウルが一番好きで、

ブレイクしている時は必ずボウルの切れ目のチャンネルに浮かんでいた。

このバテンスのショットは、数あるインサイドボウルの写真の中でも、キラリと光る一枚だった。

シークエンスで一枚手前の写真は、もう少しバテンスの体が写っており、

その年のSW・ノース特集で使われたが、

オイラはこの波の形、”つ”の字のリップ・カール、バックにかすかに見えるパームツリー、

そして何よりもバテンスの、波と、チューブと同化したルースなスタイルが大好きだった。

フィルム時代からデジタルワールドに至るまで、

これでもかと言うくらいインサイドボウルの写真を撮り続けてきたが、

色んな意味を含めて、このショットを凌ぐものは撮れていない、と今でこそ言い切れる。

先に言った事だが、青臭いながらも勢いだけはあった、まさにそんな時の作品だった。

こうして、ケンちゃんとの巡り合わせ、岳洋社さんの理解を得て、

弱冠30歳で写真集・波ノ園 をリリースする事が出来た。

そして、この時の想い、経験を糧に、

30年後、ウエヒラさん、シラタニさん協力の下、

写真集・波巡礼 を完成させる事が出来たのだ。

まさにカメラマン冥利につきます。感謝

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

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