@ Easter Reef Okinawa
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先の沖縄の原稿にも書いたが、1989年から俺の沖縄詣でが始まり、
数々の台風セッションを体験してきた。
そんな中でも1990年代中期、更に沖縄の真髄を知る忘れられない夏があった。
毎夏台風の発生とともにライダーを誘って沖縄へ、
この時はカービー(フクナガ)と沖縄入りをした。
確かカービーは2度目の沖縄で、まだそれほどの波に遭遇していなかった。
着いた初日はお決まりカズボウの”ハードリーフ”でウエルカムパーティ〜
これからやってくるタイフーンスエルに皆して盛り上がった~
そこに一本の電話が鳴った。
ボディボーダーのブレットヤング君からだった。
ブレットとは富士川で知り合い、
恐らく日本の河口史上稀に見るチョポカインドの波でセッションしたり、
千葉のショットガンでも出くわしたりと、
日本のハードコアなサーフシーンにひょいっと登場してくるオージーボディボーダーで、
何故か千葉の一宮に住んでいた。
それほど親密に付き合っていた仲ではなかったが、
台風が来ると、どこが良いのかとたまに電話をくれたりしていた程度だった。
この日も台風狙いで沖縄に来ている、と言ったら、
”そうですか~~いいですね~~~行ってみたいですね~~”と、
お調子良く、流暢な日本語で喋っていた。
俺は酔った勢いとプロライダーがカービーしかいないこともあって、
”ブレット君も来れば~~”と酔っぱらいモードで言うと、
ブレット君はもうまじに、
”ほんとですか~~行っていいですか~~行っちゃいますよ~~”ときた。
その翌日、ブレットは素早い行動力で沖縄に飛んで来、
その後、伝説のブレット旋風を巻き起こすのであった~~~~
日系ハワイアンのカービーとオージーハオレのブレットとが、
仲良くやってくれるかやや心配だったが、
一度飲めば二人のテンションは同レベル。
気がつけば一ヶ月に及ぶこの時の沖縄トリップを、
最初から最後まで同じ部屋で一緒に過ごす仲となった。
この年の沖縄はまさにタイフーンラッシュで、
東を抜けたと思ったら、西からまた来て、その次は直撃と、
ひと月の間に3~4個の台風がやってき、
帰るに帰れない、帰りたくない、嬉しい悲鳴状態となり、
これまでになかった初めての一ヶ月と言う長期滞在となった。
そんな当たり年の沖縄での最大の収穫は、
本島東面にあるイースターリーフのパーフェクトレフティ(トップの写真)。
グリーンポールの様な外海のアウターリーフにあらず、
金武湾の中の沖の瀬で割れるリーフブレイクなので、
パドルで20分近くかかるが、人力で行ける範囲のスペシャルスポットなのだ。
東面を抜けて行く台風からのスエルが、
やや北東向いた湾の入口からラップして入りだすと、
茶色に濁ったインサイドベイの岸では腹~胸の波が割れだす。
するとその頃、沖のリーフにはもう4~6フィート近い、
アラモアナの様な緑色のもろボウル状のグーフィーが炸裂しだすのだ。
湾の中なので風にも強く、かなり近い台風からの爆風でも
北寄りならオフショアとなりコンディションを保ってくれた。
台風が内地の方に抜けて行くと、北寄りのバックスエルが入り、風も緩み、
台風一過の青空の元で最高のセッションを楽しむことも出来た。
この時のトリップでは2つの台風で計6日間近くサーフできたのは、
まさに奇跡というしかない。(滅多にブレイクすることのないポイントなんで)
更に沖縄の東面とすれば珍しく、潮が干いていてもできる、
いやむしろ潮がある時より干いている方が、
巻いて良くなるという特異性も兼ねている。
なので当時はフィルム時代だったので、
1ロール撮り終えると一度パドルバックして、
また20分近くかけてアウトまで出て行ったこともあった。
ある時は台風が近づきスエルがパンプし出して来たが、
雨も強くなりだし、それでも波がいいので執拗に沖で粘っていたら、
とうとうストーミーに入り、豪雨、強風のため、視界が無くなり、
岸も見えなくなり、俺、カービー、ブレットの三人は寄り添いながら、
ほぼ遭難一歩手前でなんとか陸に戻ることができた、
涙のセッションもあったりした。
流石に台風がもろ直撃の日は家でおとなしくしていたが、
台風が西に抜けるや、今度は西面とっておきのセラガキを目指した。
何年かに一度ブレイクするかしないかと言われる沖縄最高峰のセラガキは、
嵐の暗雲立ちこめる中パダンパダンの様なブレイクを魅せ、
ついにその伝説のブレイクをもフィルムに収める事も出来た。
まさに台風フィーバー真っ盛りでサーフオールデイ/クルーズオールナイト、
昼に夜に、波に酒にゴーインオフし続けた毎日だった~~~
そんなだから朝一は全員二日酔いの死亡状態、、、
それでもキンチャンツアーは動く、、、
ゲロゲロの皆を起こして、とにかく海へ、、、
ある日、朝迄飲んでいたローカルのセイジとヨウイチが、
カービーとブレットを乗せ、俺はサトルの車で後ろを走り海に向かっていた。
朝一高速でセイジの運転する車はふらふらっと車線を飛び出し、
また元に戻って行く蛇行運転状態~~
セイジの運転する車の横へつけると、
案の定、セイジ君はカクンカクンといねむり状態、、、
助手席のヨウイチは、、、爆睡、、、を確認。
それでも車は止まらず走っている~~
慌ててクラクションを鳴らすも、二人の携帯を鳴らすも起きない〜
今度はブレットの携帯にかけ、”運転手が寝てるから起こせ~”と怒鳴った。
ブレットとカービーは慌てて起き、前席をチェックすると、
セイジはハンドルを握ったまま、ぐっすり眠っていたとのこと、、、
ほんと大事故にならず、大爆笑となり、
とにもかくにもハチャメチャながらも海へ向かった。
また違う日では俺がひどい二日酔いで、
ハヤト(シマブクロ)の運転するバンの助手席で、ひたすらゲロゲロ状態、
それでも現場に向かわせ、
途中の信号ではドアを開け、吐きの繰り返しで絶不調だった。
それでも波は大パンピング~~
そんな中いつも走っている海岸沿いの道から凄いレフトを発見!
それは有名なホテルの目の前で、誰もやったことのないポイントだった。
しかし車から降り、ゲロゲロ状態でチェックすると、
8、いや10フィートはあろうかと思われる、
パイプラインの様なチョポの様な底ボレしたコーラルブレイクが大炸裂していた。
全員そのサイズ、パワーに唖然としていると、
ブレット君は狂喜のあまり服を脱ぎだし、ついにはスッポンポンになり、
顔を真っ赤にさせながら、ゴーインオ~~フ~~~と叫びながら、
そこら中を走り回りだした~~~
まさに典型的クレージーオージーのノリで、
俺はすっかり酔いも醒め、ゲロゲロも引っ込んでしまった。
ブレット君はやる気200%だが、
サトル君を始めサーファー組は、、ちと浅い、リスキーだと、、、
潮も今から下げに入るから、、、ウウウ~~ン状態。
ブレット君の狂気の行動に、ホテルの部屋からお客が不思議そうに眺めていたので、
まずはパンツを履かせ(?)、ミーティング。
リッキーとハヤトは論外、カービーもややバックサイドなんで乗り気じゃない、
サトルも、潮がもっとあればな~~と引き気味、、、
結局そんなこんなしてるうちに、ほんとに潮が干いてきてしまったので、
このビッグレフトは幻のまま終わってしまった~~~
しかしこの時撮ったラインアップショットが、
この取材のアーティクルの巻頭見開きを飾り、
タイトルも、”CORAL WAY” と題し、
先のイースターリーフで撮ったサトル君のバレルショットが、
その時のサーフィンワールドのカバーを飾った。
(初の沖縄取材の時も、サトルはグリーンポールで初カバーになっていた)
そんな、ハイパーで愛すべきキャラクターのブレット君だったが、
翌年まさかの交通事故で急逝してしまった。
この沖縄トリップで一気に打ち解け合い、
ノースシーズン後の春先にはブレットの案内で、
オーストラリアのサウスコースト(N.S.W)を一緒に旅したりし、
これからも良きサーフバディとして、
セッションを重ねていこうと思っていた矢先のことだった。
今もあの時全裸でかけずりまわっていたブレット君のことを思い出すと、
涙というより、笑みがこぼれてくる、、、
この年のの沖縄取材では、本島の西面、東面、あらゆるスポットの可能性が、
更に高みにあるのを知り、これ以上ない収穫の中瞬く間に一ヶ月が過ぎた。
帰るタイミングが全くなかったと言っていい程、矢継ぎ早に台風が押し寄せ、
毎日が刺激/驚愕の連続だった、忘れられないオキナワンサマー。
とうとうお天気モードが変わり、台風も来なくなり、
帰るタイミングが近くなってきたら、無性に悲しく、寂しくなってきた、、
ブレットもカービーも、同じ様に、
”ほんとうに帰るんですか? 帰っちゃうんですか?
嘘ですよね? 泣いちゃいます~~~”と、皆感傷的になってきた。
那覇空港を飛び立ち、
南に向いた飛行機が丁度スーサイド上空あたりで東から北へ旋回し、
沖縄本島の東海岸に沿って高度をあげていくと、
眼下には今回の旅で至福の時を味わった金武湾がくっきりと見え、
それはまた新たな沖縄への旅を誘っているかの様に思えた、、、
@ KIn Bay