2/13 Hawaii Day

Naoya Kimoto

Naoya Kimoto
サーフィンフォトグラフ界の巨匠、重厚なショットが魅力のKINこと木本直哉。 16才でサーフィンを覚え、20才からサーフィンフォトグラフィーの道を歩みだす。1981年から冬のハワイノースショアに通いだし、現在も最前線で活躍中。

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@ Cape San Juan  Puerto Rico  circa mid 80′s

 

本日のノースショア、昨日に引き続きパンピンして5〜7〜

オフザは今日もゴーインオフしていたが、

いかんせん朝から雨、更に霧もかかりグレーでフォギー状態、、、

なので風はなく波は良いんだが、撮影はちと厳しいかな、、、

午前中何度もチェックに行くが、オーバーキャストは変わらず、

本日はノーシュート〜〜

ノースシーズンも後半に入り、すでにコンペティター達はオーストラリアへ旅立ち、

3月に入ると日本人サーファー達も一気に帰国して行く、そんな季節になって来た。

かつては3月の声を聞くとハワイからあちこちの国へ旅して来た。

昨年はウエスタンオーストラリア・マーガレットリバーへ何十年ぶりかのトリップに出た。

今年はどこか見ず知らずの国へ旅してみたいな〜〜

てことで、1980年代半ばに初めてカリブ海・プエルトリコへ旅した時の手記を読んでみてください〜

Size is still pumping up in North Shore~~

Off The Was going off but too foggy for a shoot out…

Weather was overcast all day long so no shoot for today~~

Many of the competitors went to Australia and

Japanese surfers returns back to Japan on March.

Long ago, I used to travel around the World during March.

Last year, I went to Margaret River so looking forward to travel some where else~~

By the way, have a check on my journal of Puerto Rico~~

 

 

 

AAA_SARF-012@ Domes  Rincón  Puerto Rico

 

 

1981年に初めてハワイ/ノースショアに行ってから5~6シーズン近く、

サンセットビーチのラミネートマン/チャーリウォーカーのお家に身を寄せて居た。

サーフボードファクトリーがすぐ隣にあり、色んなサーファーが毎日の様に出入りしていた。

そんなある年、すぐ隣の部屋にトムファーガーソンという

プエルトリコから来たレジェンドサーファーのファミリーが住んでいた。

一冬を一緒に過ごし仲良しになったので、

ノースシーズンが終わってからトムを訪ねて初のプエルトリコへ旅した。

その頃の俺は(まあ今もそうだけど)、とにかく旅してればそれで良かった、

世界中行ってみたかった、そんなトラベリングライフを送っていた。

プエルトリコへの旅のバディは、俺と同期、大阪出身のカズヤ(浮本和也)だった。

彼もまたトラベルジャンキーで、二人して帰りを決めない旅に出た。

ホノルル~ロス~マイアミを経由して、プエルトリコのサンファンに到着~

空港にはトムが迎えに来てくれ、まずは彼の実家、島の東部に位置するルキーヨに連れて行かれた。

ルキーヨの山の中にある豪邸で、ハワイでの貧困生活が嘘の様な暮らしぶりにびっくりした。

全てはトムに身を委ね、海に連れて行ってもらったり、

夜の酒場をうろついたりしながらスエルが入るのを待った。

やがて島の西部にあるリンコンに行こうということになり、

トムのオンボロ軽トラックにサーフボードやカメラ機材を積んでルキーヨを出発した。

ところが途中から大雨になり、屋根のないトラックの後ろにいた俺等はずぶ濡れ、

道は洪水状態になり、ただでさえ調子の悪いトラックは止まりだすわで、

もういつになったらリンコンに着けるのかわからん様になってきた。

トムにしても、こんな目にあったのは初めてだと相当まいっていた~

スムースに行けば、4時間くらいで行けるのに、この時はなんと12時間近くかかって、

ようやくリンコンにある彼の別荘に着いたのはもう深夜だった。

別荘といっても掘建て小屋で、電気もガスも水道もなかった。

おまけにモスキートアタックが半端じゃなく、初日はここまでの道中でズタボロになり、

夜もまともに寝ることができなかったほどだ。

翌朝目覚めると、眼下にリンコンの海が見え、ようやくリンコンに来たんだなと実感できた。

トラベルサバイバーのカズヤと協力しながら、このリンコンでの暮らしが始まった。

水は下の家の人から長いホースで送ってもらい、ライトはランタン、自炊は薪木と、

完全キャンピングスタイル。

寝床にはしっかりと蚊帳を張り、なんとか生活基盤を創り上げた。

そしてトムは2日程いてから、軽トラックを俺達に預けて、友人の車でルキーヨに帰って行った。

それからは見ず知らずの海岸線を地図とサーフレポート(サーファーマガジンが出してた)を頼りに

サーフサーチしまくった。

真冬がシーズンと言われるプエルトリコだが、俺達が滞在してたのは3~4月のスプリングタイム。

スエルもウイークとなり、なかなかメジャースエルが来なかった。

それでもリンコンをベースに西面、北面を走りまくり、色んなポイントを知り、

超刺激的なトリップだった。

しかし調子に乗ってドライブしまくっていると、やがてオンボロトラックにガタが来だし、

とうとう潰れてしまった。

トムに連絡すると、長年愛用してた車なだけにかなりショックだったようだ。

とりあえず足がなけりゃどうにもならんので、早急にローカルから中古の車を買って、

なんとか動きを止めずに旅を続けた。

結局リンコンではそれほどスエルが上がらなかったので、一旦退却し、

再びルキーヨのトム宅に戻った。

ルキーヨは島の東部にあるので、トレードウインドが強くオンショアコンディションが多いので、

いつもサンファン方面に出向いていた。

そしたら今度はトムのご両親が、サンファンに使ってないアパートがあるから、

そこからだと動きやすいでしょうと、町のど真ん中のアパートの一室を提供してくれた。

それにしても、ファーガーソン家はルキーヨの豪邸といい、リンコンの別荘といい、

このサンファンのアパートといい、何個家持ってるんやろう?

と、カズヤと話しながら、やっぱずうずうしくもサンファンアパートに長居してしまった。

その時に入ったスエルが滞在中一番良くて、俺達は島の北海岸、中央部に位置するホローズと言われる、

棚割れのライトハンダーで丸2日間ドチューブの波をスコアすることが出来た。

ようやく、それで踏ん切りもついた感があったのでプエルトリコを去ることにした。

気がつけば、なんと2ヶ月以上の滞在となり、すっかりプエルトリコの隅々まで把握するまでになっていた。

そして俺達は、そのまま今度はメキシコのプエルトエスコンディードへ飛ぶことにした。

その頃カズヤはすっかり軍資金も底がつき、完全に俺のヒモ状態。

俺は毎日貸した金をノートにつけ、ハワイに戻ったら絶対返せよの連発だった。

今ではそこまでして旅を続けるというのは有り得ないが、

良い波に出会いたい、見たことのない土地を旅したいという二人の共通の思いがあったので、

喧嘩もせず愉快に旅を続けられたんだなと振り返ることが出来る。(笑)

 

 

5~6 season has past after I visited North Shore in 1981,

I was staying at Charley Walker’s place. There was a surfboard factory right next to our place

so many surfers gathered up everyday.

And there was this legendary surfer called Tom Ferguson from Puerto Rico was living

in next room. We became along well so I decided to travel to Puerto Rico.

I was young so I was satisfied just by traveling all around.

By buddy for this trip was my comrade, Kazuya Ukimoto from Osaka.

After flying through Miami via Los Angeles, we finally reached to San Juan~~

Tom picked us up at the airport and took us his house in Luquillo.

What he surprised me is that he was living a small room in North Shore but his

house in Puerto Rico was just like a huge mansion.

Anyway, I relied on Tom during this trip fully so he took us all around the beaches

and bars while we were waiting for the swells to come in.

One day, we were heading to Rincon on Tom’s small truck with our boards and tools.

But heavy rain started to rain and we were in the rear side of the truck so

got heavily wet and our truck started to stall~~

If we drive smoothly, it’s a 4 hour drive to Rincon but in reality, it took 12 hours.

By the time we got to Tom’s villa, it was already midnight.

Talking about villa, it’s not that fancy than you imagine.

No light, no water, no gas. Plus mosquito comes with extra.

So couldn’t sleep deeply but once we saw the beach in Rincon next morning,

we finally got this feeling we’re in Rincon.

To live out in this villa, we asked the neighbors for water supply and

used a lantern for a light. For cooking, we used firewood like in camp and

hanged a mosquito net in our bedroom.

Tom stayed in Rincon for 2 days with us and he lend his truck and went back to Luquillo

by his friends car. So me and Kazuya searched around with a map and Surfer Magazine in our hand.

Winter season is the best for Puerto Rico bu we went there during spring season.

That means, swell was weak and not many major swell reached here.

But it was still a amazing trip seeing through the beach all around in Rincon.

Where we were driving on Tom’s truck, is stalled again and never woke up…

Apologized to Tom but we can’t stay in sad feeling, we have find a new car to drive around.

And bought a used car to continue our journey.

But swell didn’t rise up that high than we’ve imagined so returned to Luquillo.

Luquillo is placed in the Eastern side so condition is mainly onshore so we drove to

San Juan side. Then Tom’s parent lend us their apartment that no one is using in San Juan.

Do you see? How many house does Tom’s family own!!

Anyway, swell filled in and we scored a wonderful barrel session for 2 days at this

place called Hollows. That’s when we finally decided to go back to Japan.

During this journey, we stayed in Puerto Rico for 2 whole month and

flew up Puerto Escondido. By the time, Kazuya had no money left so

I had to lend him some money and I was taking notes everytime I gave him my cash lol.

If we thing normally, we should’ve return to Japan once but Kazuya and I had this same feeling of

curiosity to a unknown places. But I’m sure that’s why we could’ve gone through this trip together.

 

 

 

img046-2 AAA_SARF-013@ Hollows  Puerto Rico

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

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