4/6 Story of The Surf Pilgrim vol-9

Naoya Kimoto

Naoya Kimoto
サーフィンフォトグラフ界の巨匠、重厚なショットが魅力のKINこと木本直哉。 16才でサーフィンを覚え、20才からサーフィンフォトグラフィーの道を歩みだす。1981年から冬のハワイノースショアに通いだし、現在も最前線で活躍中。

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91536375_518257438889084_6522584283440218112_n@ Todaishita  Kadonohama  Aomori & Iwate

 

 

陸奥ロード最終章・ファイナルディスティネーションは岩手と青森の県境にある角の浜だ。

青森のビッグシティ八戸の南東部・階上町・小船渡海岸から、

県を跨いで岩手県・洋野町・角の浜に渡って連なる

クラシックな灯台下のレフト&ライト、メインと呼ばれるライト&レフト、

そして小船渡のビッグライトハンダーといったリーフブレイク、ポイントブレイクが集約されている。

小船渡は南〜南東ウネリを拾い、灯台下やメインは北ウネリを拾い、

年中コンシスタントなサーフエリアでもあり、

牧歌的な丘に立つ小船渡灯台から海を左右に望むとその素晴らしさが理解出来る。

左には15ftでもクローズアウトしないワイメアの様なビッグライトが見え、

正面には長く肩の張ったレフトのポイントブレイクとリーフに向かってのショートライトが望め、

右には遥か沖から割れてくるマッシーなライト&レフトブレイクが視界に入ってくる。

まるで異国に来たかの様なフレッシュな気持ちにさせてくれるマジカルプレースだ。

角の浜と言えば、やはり灯台下のレフトこそが日本を代表するポイントブレイクの一つ。

北海道沖からのノーススエルが岬の突先からラインアップし、

ドチューブではないが、切り立った壁を張り続け、ダウンザラインを描きながら、

リーフに沿ってパーフェクトかつ長い長いレフティがピールして行く。

サイズも6〜10ftはホールドするしっかりとしたポイントブレイクだ。

この灯台下が青森と岩手の県境で、

ビーチから波の被る岩まで白いペンキが塗られてあり県境を示している。

つまりレフトに行くとテイクオフは青森県だが、

ボトムターンした頃には岩手県に突入してるって訳。

だから右のメインポイントは岩手、小船渡は青森、灯台下は両県にまたがっている。

かつてカカイさんやオガマさん、タコボー達が毎年訪れていた場所でもあり、

北の果てのこのサーフパラダイスに魅了されていた。

オイラもその後マンタロウとの陸奥ロードでこの角の浜の魅力に取り憑かれていった。

角の浜と言えば今年で45年目になると言うリップカレントサーフショップの

ナガオカカズユキさん・55歳がここのキーパーソンとなる。

当初リップカレントはマリンショップで、ホリウチイサオさんと言う方がオーナーで、

ナガオカさんは20代の頃5年ほどアルバイトをやっていたと言う。

やがてオーナーのホリウチさんから、お前がサーフショップやれと言われ、

25年前からナガオカさんがリップカレントサーフショップのオーナーとなり、

今も元気に店とサーフィンをやり続けている。

角の浜の波情報・天気情報はこのナガオカさんにいつもコンタクトを取るんだが、

もろの青森津軽弁・ズーズー弁なんで、いつも会話が半分くらいしか聞き取れない〜(ワラ)

ナガオカさんは若かりし頃かなりのヤンチャだったらしいが酒は飲めない。

そのナガオカさんがある日八戸の夜に接待してくれた。

で、連れて行ってくれたのが、何でかホストクラブ???

今思っても不思議な接待だったが、

レディースプロのモッちゃんだけは美男子に囲まれノリノリだったな〜(ワラ)

さて、数多くのプロサーファーと数多くのセッションを重ねてきたが、

とりわけ強烈な思い出に残っているのが、小船渡のビッグライトでのセッションだ。

ザデイの日、いつもの様に角の浜の駐車場に行き、小高い丘を登り、

灯台からラインアップを見渡すと、水平線からしっかりとしたグランドスエルが脈打っていた。

灯台下のレフトもゴーインオフしてるが、

左隣の小船渡のライトが倍近くのサイズで大大炸裂していた〜

まるでワイメアの様なビッグウエイブが頭をもたげているではないか〜

8ft?10ft?もっとあるのかな?とにかくハワイ級のデカさだった。

初めてのポイントだったが、

地元のビッグウエーバー・ノリオ(ササキ)のエスコートでチャレンジすることとなった。

小船渡港がポイントの根元にあるのでチャンネルはしっかりしていたが、

港を出た辺りでタイミング悪くドセットを食らうのだけは回避しなければ、、、

ノースではパイプ、サンセット、ワイメアと水中をやりまくっていた頃だったので、

いの一番に港からパドルアウトしたが、水の冷たさには痺れた〜〜

一発スープを喰らうと頭が割れそうになっちまった〜〜

それでも沖に出、セットの波を真横で見ると身体中が熱くなった。

まさに小ワイメアの様なファーストブレイクの顔を見せていたからだ。

八戸ローカルのノリオが、仙台のマンタロウが、岩手のヘロシが、

レディースのモッチャンがビッグウエイブにチャージしていった。

今の様にデジタルカメラではないので、1ロール・36枚を丁寧に押していった。

この小船渡セッションで一遍に小船渡が好きになり、

角の浜を訪れる時はいつも小船渡を意識する様になったほどだ。

ある年、当時まだ免許も持っていなかった茅ヶ崎のオオサワノブユキを助手席に乗せ、

湘南から仙台、そして陸奥ロードへの旅に出た。

新港で最高の波をスコアし、岩手のベアーズクリフでも最高のセッションを展開し、

ノリノリ気分で角の浜までやってきた。

灯台下のレフティもゴーインオフ、そしてついに小船渡も10オーバーで大炸裂〜

当時まだ17歳くらいだったノブは短い板にもかかわらず、

ビッグフェイスにブレないレイルの入った素晴らしいターンを魅せ、

ノブのサーフィンのポテンシャルの高さを実証してみせてくれた。

確かこの時の取材では、

八戸港にある蕪島でのエアーショットが当時の雑誌SURF1stの表紙を飾った。

ラッシュのイエローのフルスーツを纏った若々しいノブの姿が映し出された特集だったと記憶する。

青森での撮影が終わると今度は福島まで下がり、

残ったノーススエルでのビーチセッションを堪能し、

更に茨城を経由して湘南まで帰ったものだ。

免許の無かったノブは、一人運転する俺に申し訳なさそうに、

すいません、いつか免許取ったら俺がずっと運転します、、、

と言いながら、湘南に着くまでスヤスヤと眠ってしまった〜〜〜ワラ

俺たちの陸奥ロードは青森・八戸が終着点だが、本当の陸奥ロードは更に北へ続く、、、

北八戸の百石から三沢エリア、そして六ヶ所村へは延々とビーチブレイクが続き、

下北半島の最東端にある尻屋岬エリアにはクラシックなリーフブレイクがあるという。

2011年の東日本大震災以来陸奥ロードが途絶え、昔の様に安易な気持ちで取材に行けなくなった。

今尚復興の手が入っていない被災地、被災者が多くいる、、、

自然はある時は優しく、またある時は猛威を奮って暴れ出す。

人は自然に抗うことはできない、と言うことをあの天災から学び、悲しみ、忘れられない、、、

時を経て、震災前に撮影されたこれらの写真を見ると、

その時その場所その波を記録すると言うことが

どれだけ大切で尊い事だったのかを今ようやく知ることとなった。

 

 

 

 

 

 

91534949_863233067502120_1729372477269737472_nNobuyuki Osawa @ Kofunato  Aomori

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

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