Riaru Ito @ Lagundi Bay Nias Sumatra Indonesia 2024
Photo by Paulinus Hulu
@ Way Jambu Krui Sumatra Indonesia 2023
ウエスタンオーストラリアからメキシコに続くリアルとのワールドトリップは
いよいよインドネシア・スマトラ島南部のクルイへ〜〜
1982年、初めてインドネシア・バリ島に足を踏み入れてからは
魔法にかかったかのようにインドネシア詣でが始まった。
ウルワツ・パダンからレンボガン、やがてジャワ〜ロンボク〜スンバワ〜ティモールへと、
そしてメンタワイとの衝撃的な出会いによって究極のボートトリップワールドへ誘われていった。
やがてタヒチ・チョポ、フィジー・タバルアの開拓によって
インド洋からサウスパシフィックへと取材の舞台が移行していった。
そんな中、新たなサーフィンパラダイスとも言えるクルイの存在を知った。
既にQSクルイプロが行われ、初代ウイナーはニシケイジロウとなった。
コンテストサイトのウジュンボチュールはG-ランドの様なロングレフト、
しかしクルイを訪れた皆が口を揃えてマンディリが世界最高のビーチブレイクだと言い切る。
ただアクセスが悪く一番近い空港からでも車で6時間近くかかるという。
逆を言えばアクセスが悪いからサーファーが少なく、バリの様にはなりにくいと。
興味津々なディスティネーションを見つけ、2019年4月・JPSAクラマス戦が終わるや、
QS戦が行われるクルイへ初めて友人と二人で向かった。
早朝の便でバリからジャカルタへ飛び、
今度はジャカルタからスマトラ島南東端にあるバンダールランプンへ。
そこから迎えの車で6時間以上走ってようやくクルイに到着した。
もう夕方だったがコンテストサイトのロングレフティ・ウジュンボチュールはイージー8〜10ft。
ノーバディアウトゼア、つまりデカ過ぎ・アウトオブコントロールにはオイラもあんぐり〜
この時のクルイトリップでは車を借りず、昔のバリの様にバイクスタイル(59歳でよーやるわ)で
滞在中そこら中走りまくっていた〜〜〜笑
まずは宿前・コンテストサイトのウジュンボチュールをチェック、
そのまま撮影に入るか、マンディリビーチの方へ行くかの選択に入る。
この時はサーファーとチーム体制ではなかったので、
その場その時に居たサーファーを撮影したり、
マンディリに行く時だけサーファーと連絡とったりしながら
自由にかつ忙しく、汗まみれになって動きまくっていた。
そんなビジーな俺の行動が宿のオーナー・アニーさんの目に止まり、
日本のメディアにもっとクルイを紹介して欲しいと話を持ちかけられた。
そんな経緯から4〜5月のファーストクルイトリップから僅か一ヶ月後の6月、
今度はイナバレオ、ムラカミシュン、ヤスイタクミ、アズチジョーといった布陣で
再びクルイを訪れることになった。
この時はアニーさんに宿(オンバインダ)、運転手(インドラさん)付きの車がサポートされ
月光仮面?(バイクスタイル)のファーストトリップより随分楽になった。笑
この時はチームで動いていたのでボーイズ好みのマンディリビーチにロックオン、
しかしこの時にマンディリの真髄、奥深さを知ることとなり、
自分的には世界屈指のビーチブレイクだと確信したほどだった。
クルイの人達はまだ全然すれてなく、まるで昔のバリのような雰囲気が残されていて、
自分はどんどんとクルイに魅せられていった。
マンディリだけでなく、ウェイジャンブやハネーズマック、ジミーズやジェリーズなどの
リーフブレイク、ポイントプレイクも魅力的だった。
よし、ここがいつか混んでロストパラダイスになるまで毎年来ようとまで思った。
しかし、、、翌年からまさかのコロナパンデミックにより、
インドネシアにはほぼ行けなくなってしまい、一瞬にして遠い存在になってしまった。
知り合いになった現地の人と連絡をとっても、
仕事がなくなった、ツーリストが来なくなったと悲観的な声しか聞くことができなかった、、
その後コロナ禍で2020年、2021年とクルイプロは行われず、ようやく2022年から再開され、
2023年の6月、俺はリアルを誘って4年ぶり3度目のクルイトリップを敢行した。
同年4月、タヒチトリップを共にしたヤスイタクミがこの時のサーフバディとなり、
QSクルイプロ参戦も兼ねた3週間の旅に出た。
この時はアニーさんのサポートはなく(コロナ禍で経営が悪化してしまった)
再びバイクスタイルに戻り、毎朝皆で暴走族?の様にマンディリ通いが始まった。
前半はコンテストに向けて多くの日本人サーファーがクルイ入りしていたので、
セッションでも晩飯時でも賑やかに過ごしていた。
基本リアルとタクミにポイント選びは任せ、その日その時そそるバンクでモーニングセッション、
風が入ると宿に戻りブランチ、リーフブレイクはまだオフショアなので2R目、
更に夕方はコンテストサイトのウジュンボチュールで3R目とまさにサーフドアウトの毎日だった。
そうこうしてるうちにQSクルイ戦が始まり、リアルにとっては初めてのQS参戦となった。
試合中も朝一のマンディリ詣は欠かさず、狂気のビーチセッションを終えてからヒートに望み、
ヒートが終わると別のリーフブレイク・ウェイジャンブ(スマトラパイプライン)へ行き、
その日の試合が終わると夕方ウジュンボチュールでプライムタイムセッションといったルーティン。
試合の方はリアル君絶好調でウジュンボチュールの波にフィットし、アクションもキレキレだった。
あれよあれよと勝ち上がり初のQS戦でQFまで勝ち進んだ。
しかしQFでは元CT選手のオージー・モーガンシビリックに
まざまざと実力の違いを見せつけられ惨敗し結果は5位。
今思えばこの惨敗がリアルのコンペ魂に火を付けた。
同年のニアスプロでもワールドクラスのバックサイドバレルを披露し5位となり、
この年のQSアジアランキングが2位となり、初年度でCSクォリファイを果たした。
更に翌年のニアスプロではベストオブベストのコンディションで10ポイントをマークし、
そのチューブスキルの高さからリアルの名を世界中に知らしめることとなり、
最終ランキングも3位、2年連続でCSクォリファイを果たした。
初めて行ったクルイで、初めてのQS戦で5位になり、押しも押されぬCS選手となり
気がつけばアジアのトップコンテンダーにまでのしあがったリアル君。
フリーサーファー、チューブライダーのイメージから一新、
コンペティターとしてもその名を一気に高めていったのだ。
そのきっかけ、タイミングがこのクルイトリップにあったと言える。
(ということにしておこう笑)
Riaru Ito @ Way Jambu Krui 2023
@ Mandiri Krui 2019
@ Ujung Bocur Krui 2019
Sunset @ Ujung Bocur Krui Sumatra Indonesia 2023

