Making of Movie ” FREE BIRD ” vol-2

Naoya Kimoto

Naoya Kimoto
サーフィンフォトグラフ界の巨匠、重厚なショットが魅力のKINこと木本直哉。 16才でサーフィンを覚え、20才からサーフィンフォトグラフィーの道を歩みだす。1981年から冬のハワイノースショアに通いだし、現在も最前線で活躍中。

スクリーンショット 2025-08-18 4.44.08

Riaru Ito @ The Cape Miyazaki Japan

 

 

 

 

スクリーンショット 2025-08-18 4.39.30@ The Cape Miyazaki

 

 

 

 

映画の構成は地元宮崎からスタートする。

本人、両親、友人等のインタビューに乗せて、

宮崎のビーチブレイク、リーフブレイクでの映像が続き、

まず第一の山場、2021年秋に撮影されたザケープのザデイ。

まるで本家パダンパダンを彷彿させるようなクラシックなレフティに

初めてトライするリアル、そして既に一度やったことがあったカンの誘いによって

宮崎いや日本中がど肝を抜くチューブセッションが展開された。

 

ザケープの存在を知ったのは多分20代後半だったから今から35年以上も前になるかな。

当時雑誌サーフィンワールドの取材で宮崎ボーイズ(タカシ、コウシ、ケンゴ、サトシ等)

と共に刻々と迫ってくる台風の中撮影を続けていた。

そんなある日の夕方一日のセッションを終えて帰ろうとした時、

岬に沿って超ド級のレフトハンダーが唸りをあげているのを発見した。

もう黄昏時で今からサーフィン・撮影ってモードではなかったけど、

とりあえず近くまで行ってチェックしようとなった。

岬の根元から見るラインアップは予想以上にでかくド迫力ものだった。

曇天の夕方、暗くなってくる中目を凝らして眺めているとこれだというドセットが入った。

すると一人のサーファーが8〜10ftはあろうかという波にテイクオフ!!

しっかりとしたボトムターンをかますとビッグフェイスで見事なトップターン!!

バックサイドだったのでチューブライディングこそなかったが、

このサイズ、このシチュエーションで暗くなる中一人でやっていたことには正直驚いた。

そのサーファーはその後2本ほど乗って上がってきた。

愕然とする俺たちプロ軍団をよそに彼ははにかみながら無言で帰って行った。

(後日調べたらミツ君と言うアンダーグランドサーファーでした)

その時俺は自然にこのポイントをウルトラレフトと呼び、深く脳裏に叩きつけられたのだった。

その後も宮崎へ行く度チェックに行くも

サイズ不足だったり、スエルディレクションが合わなかったり、嵐に突入してしまったりと

なかなかあのコンディションには遭遇することができなかった。

もちろん宮崎に住んでいるのではないから、他所に行っている時でいい日があったりしたかも、、

そんなこんなで30数年が過ぎ、2021年の秋、

九州の真下から真北に上がってくる予報の台風ができた。

勢力は絶大、速度もゆっくりなので、もしかしたらあのウルトラレフトが覚醒するかも考えていた。

まだザデイには数日かかりそうなので、まずは四国の河口へ向かい、

ここで丸2日間河口のチューブセッションを記録することができ、

流石に3日目はクローズするだろうと思っていたが、デイー3もスティルパンピング!!

が、ここで四国から宮崎へ移動しなければ明日のザデイ(勝手に決めてるし)に間に合わないと思い

まだまだゴーインオフしている四国の河口からアズチジョー君と共に宮崎へロングドライブに出た。

高知から愛媛の佐多岬まで走り、そこから1時間のフェリーで大分へ、

そこから東九州自動車道で一気に宮崎まで走り続け、到着はもう夜だった。

俺と妻、ジョーの3人交代でのドライブだったが、丸2日半のサーフィン・撮影で疲労困憊、、、

とりあえずポイント近くの宿に泊まり、翌朝宮崎ボーイズの連絡で別のポイントに集合。

昨日から急にサイズアップしてきたというこちらのレフトがゴーインオフしていた。

が、途中から急激サイズアップし、カレントが生じブレイクもダラダラになってきてしまった。

サーファーもコンディションの悪化から次々と上がり各々が休憩でいなくなってきた。

俺等も一旦ブレイクに入り、ついでに気になるウルトラレフトをチェックに行ったが、

ラインアップはしているもののまだサイズ不足でアンサーファブルだった。

でも一人ローカルのような漁師のようなサーファーがチェックしていて、

もう1〜2時間で出来るようになるよと声をかけてくれたので、

俺はもうジタバタせずここで待機しようと決めた。

秋とはいえ暑い熱い1日だった。

ジャングルロードに車を停めていると周りの緑からむせ返るような湿気と熱気が感じられる。

一方海はやはり刻一刻と変化を遂げ、沖から波がブレイクするようになってきた。

とりあえずリアとカン等にこちらで待機せよと連絡した。

そして皆が集結した頃にはウルトラレフトは覚醒しだし、ボーイズもそのラインアップにあんぐり〜

この数時間のカミングアップから考えれば夕方にはマックスオーバーになってしまうかも、

または台風からの風雨が絡んできてしまうかも知れないと思い、

ボーイズには早めのパドルアウトを促したが、いかんせんカン以外はバージンサーフ。

あのリアルでさえ尻込みしてたくらいだった。

そんな中、宮崎親分カンが”よし行くぞ!”とハッパをかけ、ようやく皆もパドルアウトとなった。

カンとリアルがラインアップに入り込んだ時はもう波は絶好調、

まるでパダンパダンの様なパーフェクションにビッグバレルの口がオープンアップ!!

撮影している側も息をも飲む緊張が走るほどだった。

この時は妻が動画を担当し自分はスチール、

そして地元宮崎・CBA Filmsのシイバタカシ君は別アングルで動画撮影をし、

この貴重なセッションは二人の映像によってコラボされることになった。

まずはカンがトップを切って波をもぎ取りスタンディングバレルをメイク!!さすが!!

次にリアルがモンスターセットに乗り込み深いボトムターンからプルイン、

ヒュージカールが落ちる中を走り続けたリアルだったが出口で吹き飛ばされ体だけカムアウト〜

波は8〜10ft、天気良し、風良し、待ちに待った凄まじいセッションが始まった。

この時ラインアップにいたのが、カン、リアル以外に、アズチジョー、フジタリョウシュン、

コダマリョウ、イワミテンシといった4人のバックサイダーだった。

中でもジョーが決めた一発はこのセッションの中でもとびきりのビゲストロングバレルで、

スピッツアウト共に珍しくバンザイポーズをとったほどだった。

俺の中ではこのまま夕方までサイズアップしてくれる、むしろデカすぎにならないか?

とまで思っていたが、実際は皆が入ってからの2時間くらいがドピークで、

午後3時半頃からセットが来なくなり、4時過ぎにはなんと皆パドルで上がり出してきた。

その後入っていったサーファーもいたので引き続き撮影は続けていたが、

明らかにサイズダウンでむしろライン上に岩が見えだし危険なコンディションとなってきた。

つまり結果的には待機からパドルアウトしてたった2時間のマジカルセッションとなった訳。

このポイントをこまめにチェックしてきたシイバタカシは、

波としては年に1〜2度たつことはあるが、天気や風などコンディションがオールインワン

になる事は稀で、これほどのコンディションは初めてだったかも知れないとのこと。

そして俺にとっては35年越しの想いが繋がったとしか思えない出来事であり、

カメラマンとして一生忘れられないセッションとなった。

 

 

 

 

 

スクリーンショット 2025-08-18 4.45.02Riaru Ito

 

 

 

 

 

 

スクリーンショット 2025-08-18 4.43.25Kan Watanabe

 

 

 

 

 

スクリーンショット 2025-08-18 4.40.01@ The Cape Miyazaki

 

 

 

 

 

 

 

 

Print

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

COVER_入稿_D2_out

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

最近の記事

関連する記事