Once Upon A Time in Mentawai Surf Sanctuary

Naoya Kimoto

Naoya Kimoto
サーフィンフォトグラフ界の巨匠、重厚なショットが魅力のKINこと木本直哉。 16才でサーフィンを覚え、20才からサーフィンフォトグラフィーの道を歩みだす。1981年から冬のハワイノースショアに通いだし、現在も最前線で活躍中。

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@ Nyang Nyang  E-Bay  Mentawai   Sumatra  Indonesia  circa mid 90′s

 

もう30年以上も昔の話だ。

メンタワイには数えきれない程足を運んできた自分だが、

今回は初めてのメンタワイトリップ、それも生まれて初めてのボートトリップのお話~

世界中を旅しまくり30歳手前でジェフリーズベイにまで辿り着き、

何処か新しいサーフディスティネーションを模索していたときのことだ。

オムツアーの丹野社長から、メンタワイボートトリップに行きませんか?とのお話をいただいた。

バリ、ジャワ、ロンボク、スンバワ、スマトラとインドネシア各地を放浪してきたが、

前々から噂に聞いていたメンタワイ諸島にはまだ足を踏み入れていず、

船のコンタクトも知らなかったので飛びつく様にこの話に乗った。

メンバーはOMの丹野氏、ヌマジリカズノリ、タニグチタカシ、シュットウヨシタカだった。

船はノルジャ、キャプテンはオージーのケン。

オーガナイズしてくれたのは、メンタワイサーフサンクチュアリのリックだった。

これまではアンダーカバーだったメンタワイを、

アドベンチャー好きのオージー船によって徐々に開発されていったが、

まだまだビジネスとはほど遠いマニアックな世界だった。

それがついにメンタワイのお役人の目に止まり観光産業にしようと打って出た訳。

出発の日、パダン港では大きなセレモニーが行われ、

最後に杯を地面に叩き付けて割り、トリップの無事、成功を祈ってくれた。

俺は初のボートトリップに超ウキウキ状態。

夜中に何度も起きてしまい、キャプテン・ケンの側にいって話し込みまくっていた。

そして朝、停泊していた俺達の船の目の前にあったのがマイヌポイント。

見た感じ小さそうだったので、俺は皆が起きる前にケンとサーフ(ブギ)することにした。

グラッシー、トロンとした生暖かい空気、海水、

回りの島々は湿気蒸し蒸しのジャングルに囲まれ、身も心も溶けちゃいそうだった~

セットが入り一本目をテイクオフ~

根こそぎ掘れるサッキーレフトにびっくり、こりゃヤバイ~波乗りしてる場合じゃないわいと、

速攻船に戻り、皆を起こして記念すべきメンタワイでのファーストセッションを開始〜〜

これまでの概念で行くと水中に入り、泳ぎながらやブギボードに乗って撮影するのだが、

ここではディンギーを駆使して船の上から楽チンに撮影するスタイルを知った。

今では当たり前のことかもしれないが、当時の俺にとっては画期的なことで、

その実用性・魅力にハマったのも事実だ。

またいつもなら風の吹くまでやり切るというスタイルも、

ここではサッサッと1ラウンド済ませるとすぐに船で移動、

次のポイントでまた違ったテイストの波を味わうというゴージャスさだった。

実際2ラウンド目はニャンニャン(Eベイ)と呼ばれる、

ジャングルバックのスーパーパーフェクトレフトハンダーに遭遇。

キャプテン・ケンのお気に入りスポットらしく、初日はここで丸一日を過ごし、

俺たち全員スーパーストーク〜〜〜

写真もディンギーからたっぷり撮れ、ほんと初日から最高のスタートとなり、

この旅に誘ってくれた丹野さんに感謝した。

次の日も別のポイント、また移動、そしてまた次の日も違ったポイントでサーフ/シュート。

一体メンタワイにはどれほどのポイントが隠されているんだろう?

計り知れないポテンシャルの高さに、これはもう絶対に来まくってやるぞ~と心に決めた、

これこそがドリームトリップだと確信した。

そんな中、旅の中盤でオムの丹野社長が急遽帰国することになった。

メンタワイの訳わからん島からなんとも妖しいフェリーに乗ってスマトラ・パダンに渡るという。

英語なんか当然通じる訳がなく、丹野さん大丈夫かな~?なんて心配しているのをよそに、

当の本人は飄々として流暢なインドネシア語をペラペラと喋り、

何故か日本のサラリーマンスタイル・スーツにネクタイを締め、革の鞄を下げて、

今にも沈みそうなオンボロフェリーに乗って帰って行った。

流石はだてにインドネシア専門旅行会社をやってるわいと、心底感心した。

これを機に丹野さんとはずっと仲良くさせてもらい、

その後数十回にも及ぶメンタワイツアーをオーガナイズしてもらい、

その全てのトリップはエクセレントといっていい経験を積まさせてもらった。

メンタワイ、今や世界最高のサーフディスティネーションとして君臨し、

今ではしっかりとしたサーフビジネスが定着している。

しかし、俺は今も強烈にこの初めてのメンタワイトリップが脳裏に焼き付き、

この時メンタワイの海上で出会った他の船、全ての人達が

一つのコミューン・強い仲間意識があったことが妙に懐かしく思われる。

(当時の手記より)

 

 

 

 

 

img045Norja @ Mainu

 

 

 

 

 

 

N370B9AA13_JTakashi Taniguchi @ Nyang Nyang

 

 

 

 

 

 

N370B9AA02_JKoji Kanekatsu @ Choco Bowl

 

 

 

 

 

 

N370B9AA04_J@ Choco Bowl

 

 

 

 

 

 

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1996年、当時のサーフィンワールドで初めてメンタワイの記事が掲載されると、

その後空前のメンタワイボートトリップブームとなり、

多くの日本人サーファーもメンタワイを訪れるようになり、

自分も数え切れないくらいメンタワイ取材を敢行してきた。

しかし時が流れいつしかBoat War(船戦争)とも言われた混雑が引き起こされ、

当時の海上では皆が助け合うと言う仲間意識から、ギスギスとした雰囲気に変わっていき、

陸地には次々とサーフリゾートが立ち並び、新たなメンタワイの時代へと変化していった。

自分はそんなメンタワイから自然と遠ざかり、

広い地球の他のサーフディスティネーションを模索しだしていった、、、、

しかし今年実に20年ぶりのメンタワイボートトリップを敢行することとなった〜〜〜!!

 

 

 

 

 

f85f29b230842d0b7256d13d58dcb386Sasuke Kawatani

 

 

 

 

 

 

c27ba2fe8623b0674c97146d0f057c7fShohei Kato

 

 

 

 

 

 

2E3A1985Yuma Nagasawa

 

 

 

 

 

 

33a3c8e6042a5850beabef3cb93e8c40Masamune Uno

 

 

 

 

 

 

4dae74d7406e74bffe0c99fdc9f5d442Shinpei Horiguchi

 

 

 

 

 

 

 

 

 

おおきに商店・ドリームプロジェクト・メンタワイボートトリップが実現!!

今冬ノースで頑張った強者のおおきにライダー5人、

(サスケ、ショウヘイ、ユウマ、マサムネ、シンペイ)

おおきに商店総帥のウエマツ氏、鳥取ローカルのイマイハヤト君、そして自分の8名で、

4月12日から12泊の船上旅行となる。

船にはスターリングWIFIが完備されているので、

INGのサーフレポートができるかもしれないのでお楽しみに〜〜〜

それでは、いつも心におおきに!!

いってきま〜〜〜す笑

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

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