☆加藤のコラム『サブ&ロテ島、これでいいのだ!!Vol.3』

☆加藤

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会社代表であり、波乗りと海が大好きなサーファーです。子どもたちに安全安心な海を残すことと、島国などへ高精細な気象情報を提供することを残る人生のライフワークにしました。サーフトリップネタが多くなりますがお付き合いいただければ幸いです。よろしくお願いします。

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※このコラムは2016年05月27日に掲載されたものを再掲載しております。

ドネーションと大きな勘違い

旅の後半に、サブ島に港から上陸しました。島で生まれ育った裕福でない成績優秀な女子高校生に対して、オーストリアで寄付を募って(ドネーション)大学への進学を手助けしている宣教師(90歳くらいのおじいさん)の活動に、クラウスやその友人らが協力していて、今回は集まったドネーション(約60万円)の目録を届けるための上陸に同行させていただきました。全く関係のない我々まで、奨学金を受けている女子大生から熱烈な歓迎を受けて、ちょっとしたヒーロー気分を感じたほどでした。というか、女子大生全員から満面の笑顔で両手で握手を求められて、マジで勘違いをしてしまいました。『もしかして、もしかして、俺たち日本人の男はモテるんじゃねえ~!?』

もちろん、そんな訳はなく、単にドネーションに感謝するためにクラウスらに同行した我々にも感謝の気持ちを表しただけでした。本当に俺たちはおバカさん、単純ですね~。(笑)
元々インドネシアは親日国家です。その理由としては、第二次世界大戦において、アジアの小国の日本が欧米の列強に対して戦争したことがきっかけで、日本の敗戦後に多くのアジアの国々の独立戦争が始まるきっかけとなり、インドネシアもオランダの植民地からの解放を目指して戦いました。インドネシアで敗戦を迎えた日本軍兵士の一部も、そのまま独立戦争に加わり、インドネシア軍を指揮したり戦術を教えるなどしてインドネシアの勝利に貢献しました。独立戦争に加わり亡くなった日本兵は、英雄として国立墓地に埋葬されているそうです。今でもサブ島の港には、日本海軍の艦船のエンジンの残骸が横たわっていましたが、取り除かれることなくそのままなのは、きっと今でも日本軍に感謝している証だと思います。

 

日本海軍の艦船のエンジンの一部

日本海軍の艦船のエンジンの一部

 

同じような話はミクロネシアのコスラエ島でも現地の古老からお聞きし、日本軍はそれまで決して働き者ではなかった島の男たちに『勤労の美徳』を教え、子どもたちのために学校を作り、教育を施したことを知りました。戦後の自虐史観教育の影響により、まだ日本中で勘違いしている方が大勢いらっしゃるとは思いますが、中国と韓国を除くアジアの多くの国と国民からは、今でも日本、日本軍の行為に感謝していることを現地で直接聞かされるととても感激するものです。

Seacret Left!!

Seacret Left!!

この時も、すでにサブ島に42年住んでいるとはいえ、現地での第二次世界大戦を知らないヨーロッパから来たオーストリア人の宣教師が、日本軍は最新兵器と圧倒的な量を誇るオーストラリア軍に対して、『海岸にある洞穴や地面に深く掘った穴などに潜んで勇猛果敢に戦い戦果をあげて、とても立派だったんだぞ~』と、口から泡を飛ばすほど熱く語ってくれたのがとても印象的でした。
何よりにも増して平和が大切ですが、大学生を含む数百万人もの若者の犠牲者のうえに、いまの私たちの暮らしがあることに、改めて感謝しなければと強く思いました。つづく

 

サーフガイドクラウスと宣教師のおじいさん

サーフガイドクラウスと宣教師のおじいさん

 

☆加藤のコラム『サブ&ロテ島、これでいいのだ!!Vol.4』

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